お知らせ


お知らせ

RSS

一覧に戻る

トップハート物語(39)苦闘開業編
10/09/04
利用者長女と二男と面談を行った。その時点では施設に入っているが
 「親が、手を縛られて動けないようにされているんです。トイレに行きたくてもさせて貰えず、介護職員はおむつにしろと言うのですが、母親はまだ自分でトイレくらい行けます。そんなひどい施設から早く出したいんです。」
 そんな事があるんだと、「私」は驚いていただけだった。
 「その施設を出たいので何度か車いすに乗ったままワザと転倒したり、壁にぶつけて腕を骨折しました。可哀そうで、このままでは我々子供が3人も居ながら何も出来ないで、親に申し訳ないと思います。そこで、施設を出して貰い家に引き取ってヘルパーさんの力を借りて面倒を見る事が出来たら、と思っています。」
 そんな、親子の情に触れて感激していた。
施設での親への対応が納得行かず、子供たちがお金を出し合って結局は独身である長男の家で在宅介護をする事になった。日中独居となり、毎日3回の食事介助とおむつ交換をするには介護保険だけでは点数が不足してしまう。家族が希望する十分な介護をするには、要介護5での介護保険計画と、かなりの回数の自費による援助を設定していた。信じられない事だが介護保険と自費で月50万円近くの収入を一人で生み出すことになったのだ。さあ、当社にとって身体介護が出来るヘルパーさんを確保する問題が生じた。工場での夜勤専門の利用者長男には家族がおらず、朝7時、昼間2回、夜間7時の援助を毎日確保しないと行けない。そこで、先日、O県人会開催時に登録してくれたヘルパーさんを思い浮かべた。あの時登録してくれた中の一人が、地元の社会福祉協議会で措置制度での援助の経験があり、何と
 「ヘルパーさんがいなければ、全部入って上げますよ。旦那は施設に入っているし、子供はいないし。気にしなくていいから。」
「私」の心配をよそに、簡単にそう言われて拍子抜けして、当然全部の援助をお願いすることにした。この事を切っ掛けに、その施設に併設してあった居宅介護支援事業所から依頼が続き、その社会福祉協議会に居た方と県人会の時に同時に登録して頂いたヘルパーさんに他の援助に入って貰って何とかギリギリ回り始めた。堰を切った援助依頼は、尚も恐ろしいほど続く。それなのに、唯一の常勤社員との考え方の違いから、その彼女が9月には退職することになってしまうのだ。その原因は、後から知ることになるが他の事業所に「私」が騙されてしまうのだ。それはまだ先の事で、介護の仕事は次々と依頼が入り介護保険外の仕事は止めざるを得なくなった。何とか仕事を生み出そうと近隣に撒いた「AA通信」も6月号と7月号の2回で終わりを迎えた。
 この6月が0円だった売り上げは、7月に深夜対応の新規援助で8万円になり、8月の収益はその10倍の80万円を超えたのだ
その大きな原動力となったチャンスは2000年8月にあった。地道に営業した活動に大きく発展するある転機が潜んでいたのだ。D市には再三営業に通った。特に基幹型在宅介護支援センターには、期待を抱かせる言動があったから通った。それでも、なかなか介護依頼にが実現しなかった。私が勝手にもしかしたらと期待を持っているだけで、後から聞くと全く相手はそんなこと思っても居なかったのが分かった。外交辞令だったのだ。しかしその時には、いつか仕事をくれるものと信じて疑わず通い詰めて、ついにその在宅介護支援センターから業務の依頼があった。1度、2度とD市に行くたびに営業に行ったが、期待を抱かせる対応だけで一向に依頼が来ない。これが最後と3度目訪問しいつもの責任者に会った。「私」の営業は、一度だけは訪問するが、仕事に繋がらなければ何度も訪問することはほとんどない。いつも1回勝負だ。そして、モットーは「仕事を下さい」と言わない。ただ、当社の紹介をするだけだった。いつものように、全く直接営業的言葉を言う事が無かった。が、今日が最後と思って、思い切って責任者に頼んだ。
「もし新規の仕事がありましたら、介護の仕事の紹介を頂けないでしょうか。」
「お宅の事業所は遠いですから、ヘルパーさんが来るのが大変でしょう。」
と、言われて初めて仕事が貰えない理由が分かった。即座に答えた。
「この市にヘルパーさんは居りますよ。」
「どこの町にいますか、その町名を教えて下さい。そのヘルパーさんが居る近くの利用者を紹介します。」
そう言われて、営業で知った町の名前が数か所自然と口から出た。それが、どこかも勿論知らない。

一覧に戻る


  • ヘルパー講座・セミナー 最新情報
  • ケア事業・サービス 最新情報