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- トップハート物語(38)苦闘開業編
- 10/09/03
- 11.喜び
その、医療機関の居宅介護支援事業所からの依頼の前に、7月初旬に散髪などの介護保険外の依頼が増えて来た流れの中で、紹介の紹介で介護保険を利用する記念すべき「私」にとって第一号の利用者が生まれたのだ。軒並み訪問した事務所開設のM市ではなく、同じようにシラミつぶしで訪問し手応えを感じていた隣のK市でも無く、少しの希望を感じながら歩いて2時間も掛かりながら通い詰めたD市でも無かった。H市は、余りに広大な市で、3市が合併して出来た市だった。事務所があるM市からその市の入り口に入るのに自転車で1時間は掛かる。毎日必死に通ったが、全部の居宅介護支援事業所を制覇するにはまだ十分ではなく大分残っていた。そこで、ファックスに頼る事もあった。そのファックスを見た大手事業者が、系列の事業所にその24時間対応という内容を教えたようだ。
その記念すべき当社の紛れもない最初の介護保険の依頼は、深夜2時半から3時までの30分のおむつ交換だった。その地域に登録ヘルパーさんも不在の状態で、唯一の常勤ヘルパー社員が対応するほかなかった。一月以上も、仕事が無くて毎日近所の高齢者相手にフロアでコミニュケーションをとって過ごしていた若い常勤社員に声を掛けた。
「どうする。深夜とはいえ、自宅から車でも30分以上掛かるが出来るか。」
「大丈夫です。3年間施設で働いていましたから、夜勤は慣れています。」
その返事で、ついに当社の初めての仕事が決定したのだ。
その代わり、出勤を午後からとした。深夜の2時前に家を出て2時半から3時までおむつ交換をして、3時半に家に戻って仮眠をし、昼間の1時に出勤させた。まだ、仕事が無いのでそれで十分会社は成り立ったのだ。
2000年7月初旬の深夜の援助依頼を切っ掛けに、翌月8月末には堰を切ったように連続して介護依頼がなされて来た。あの、医療機関の居宅介護支援事業所からの依頼も加わわり、事務所があるM市から遠くだったのでヘルパーさん確保が厳しかった。ハローワークで紹介して貰ったヘルパーさんをフルに活用し始めた。皆さん、高年齢で50代が中心だった。
6月にフロアの空きスペースを借りに来た美容師が、O県人会に貸してくれというので無料で貸したが、その集まった中に、何人かのヘルパーの資格を持った方がいて、訪問介護事業所をしていると知って登録だけして行った。その時点ではまだ当社には全く仕事がなかったのだ。その方々も、後日主力として仕事をしてくれることになる。県人会開催時点では勿論仕事が生まれるなど分からなかった。
唯一の常勤ヘルパーは、相変わらず深夜の援助に行っていた。6月1日に介護保険指定事業をスタートして、当月の売り上げがゼロだった。僅かに、介護保険外の訪問散髪や弁当の販売、バザーや小物を販売してしのいでいた。7月は初めての介護保険利用者の紹介があり、深夜訪問介護が月初めからあったので8万円程度の売り上げだった。7月後半に、突然、近所の在宅介護支援センターの担当責任者から連絡があり、ついに当訪問介護事業所があるM市で大きな介護依頼があった。
「要介護5の方で、1日何回かの身体介護で自費もある方がいます。夜間や早朝の対応
出来るのは、この地域ではお宅だけなのでお願います。ケアプランも一緒にお願いします。」
突然の依頼に、興奮して簡単に引き受けてしまった。問題は、ケアマネジャーと身体介護が出来るヘルパーさんの確保だ。最初キーマンであるケアプランを作るケアマネジャーの確保に奔走した。M市を営業していて、仕事がなく落ち込んでいる時に今後の相談したケアマネジャーがいた。辞めたいと相談しに行った時に、
「もうしばらく我慢して、頑張ってみなさい。きっと成果は表れますから。」
そう言って、私が逃げ帰るのを阻止してくれた。相談に行くと、利用者の近所にあるケアマネジャーを紹介してくれた。初めてのケアマネジャーの立会に緊張して、どんな事を話して、どんなアセスメントをするのかつぶさに見る事が出来た。
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