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- トップハート物語(35)苦闘開業編
- 10/08/31
- しかし、一向に依頼が来ない。介護施設にも、軒並み訪問した。特別養護老人ホームや老人保健施設にも居宅介護支援事業所があり、ほとんどが在宅支援センターの併設だったからだ。その訪問が無駄足だったと分かったのは、かなり過ぎてからの事だった。それでも、そのような介護関係ではなく、医療関係の病院などは相談室の方と関われるようになり、その後の事業発展の礎になった。当然、このような医療関係にはほとんどの訪問介護事業所が仕事を紹介してくれる訳がないと訪問する事の意義を見いだせなかったのを、「私」はそんな事を考える程知識がなく他の居宅介護支援事業所同様訪問したのだ。それが、退院患者さんの介護申請代行から依頼されることになったのだ。それは、少しあとからの話になる。
ほとんどの介護援助は月初めから始まるのでと裏付けのない理由を付けて、6月ひと月営業しながら待った。思い通りにというか、6月の売り上げはゼロ円だったのだ。その後の歴史を大きくセンセーショナルにするためには、ゼロ円で良かったのかも知れない。しかし、ゼロ円という実績には、自分でも根性のあると自負していた「私」も滅入ってしまった。その中での救いは、訪問理美容の取引が数件あった。当社には、何の収入にも成らない。受け取る2000円は、全額ボランティアの美容師に差し上げた。各種、自費の援助も盛り込んだパンフレットを配布し、ファックスも送り続けた。
介護保険外の依頼の中には、大手介護事業者が運営する旅行会社からの援助依頼があった。そこからは、訪問理美容をはじめとして自費の介助依頼が数件来ていた。
「視覚障害者の男性の方で、旅行の同行を希望されている方がおります。」
「どんな内容でしょうか。」
「付き添いで、一泊です。朝出発して、ホテルに一泊します。そこで入浴介助をお願いします。お友達がもう一人同行します。夜は一緒に寝て欲しいと居言う事です。」
「それは何故ですか。」
「トイレとか行く時に、お願いしたいという事です。」
「お友達が行かれるのじゃないですか。」
「お友達は、ケアはしません。ヘルパーさんお金を払う訳ですから、ヘルパーさんの仕事になります。」
「夜間もするとなると、大変なお金が掛かりますよ。昼間が1時間4000円、夕方が25%増しで5000円、夜間が50%増しで6000円です。24時間で118000円になりますが。」
「利用者に聞いてみます。」
それっきり連絡がなかった。
毎日、最低1本の電話が掛かって来る事が目標となった。なんでもいい、仕事でなくてもいいので間違い電話でもいいから電話が掛かるような営業を目指した。相変わらず、午前中は電話を掛けて約束を取り付けるとか、ポストインなどの営業に出ていた。午後は、午前中に取り付けた約束時間に従って営業に出た。一緒に始めた常勤の女の子は、営業はしないとはっきり言い、
「私の仕事は介護です。介護の仕事の依頼が来たら、やります。それまでは、私の仕事ではありませんので。」
と、割り切った話し方をしていた。自分を犠牲にして、身を粉にして働こうなどという気持ちは28歳の現代の女性には無いのだ。私の言い方や態度でもう1回分裂、つまり一人になる可能性をはらんでいた。それでも、実績を上げるために私は必死だった。彼女が何をしているのかなど、どうでもいい事だった。雨の降った日は、動く事が出来ないのでフロアにラジカセを持ちこんで、松山千春、さだまさし、チャゲ&飛鳥などのニューミュージックを聞き、これから生まれる利用者の為に契約書や重要事項説明書を作成した。介護記録簿やシフト表も作った。自費の契約書も作った。これからの事業プランも大学ノート20ページくらいにまとめて作った。その中身を忙しくなった数年後も時々見ていた。準備万端、いつでも仕事に対応できる体制を作ったのだが、一向に仕事が来ない。
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