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トップハート物語(34)苦闘開業編
10/08/30
10.光明
2000年夏。私がここに来て、初めての夏が来た。私は長いサラリーマン人生の中で営業経験がほとんどない。僅かに、3か月ほどコピー販売会社の営業をした事がある。当時、コピー機といえばこの会社だった。ブランドがあるから営業の実績は個人の力量に委ねられる。一月間という十分な研修を受けた20歳の私は、東京は神田の出版街の担当となった。営業所に配属になり直ぐに営業に出て1日実践の研修を受けた。カタログと重い鞄を持ってひしめき合っている小さな会社、大きな会社をしらみつぶしに訪問したのだ。商品知識がないので、説明が出来ない。ただパンフレットと名刺を置くだけの営業スタイルしかできなかった。毎日、最低50件の訪問ノルマがあり、当時真面目な私はそれを守った。毎日、月曜日から土曜日まで50件以上の会社を回り続けた。これほどの数の会社があるのかと驚嘆するくらい狭い部屋の一つ一つが、それぞれ独立している会社だった。マンションの中のひと部屋も会社だった。そう思って、コンコンとノックをして、開けると人がベットに寝ている会社でも何でもない個人の家で、驚いた失敗談も沢山ある。漫画家が事務所として使っている個室もあり、書いているところを見せて貰った事もある。
その甲斐あって、2週間後過ぎくらいから問い合わせが事務所に来るようになった。当時は、乾式コピー機は外資系のゼロックスだけで高価な機器だった。当社は、湿式の先駆けで中小企業向けだった。商品の説明やデモの時には先輩が連れて行ってくれた。契約が成立して、納品時にトナーの液を入れるところを間違って他の部品の上にこぼしてしまった事もあった。それでも、順調に取引が成立してついにこの月のトップセールスになってしまった。それから、新人の「私」が3ヶ月間トップを守り続けた。月末には、コピー用紙だけを販売するように言われて、取引が無くてもコピーを使っていそうな会社に行って、注文を貰って来た。それも、「私」が飛び抜けた数字だった。どんな事でも真面目にすれば、このように数字が付いて来るんだという、信念がこの時形成された。
そんな意識が蘇り、しらみ潰しの営業に突き進んだ。事務所のあるM市は勿論、隣のK市、N市、D市と回る。土地勘は全くなくどうしていいのか考える余地もない。どういう順番に回ったらいいのかなど分かる筈もない。どう回ったら効率的なのか考えるより、連絡を片っ端から入れて約束を取り付けるほかないと思った。しかし、いざ連絡しようと思っても、地図が分からないからと自分で自分に言い訳して、受話器を持てなかった。それが、営業慣れしていない者の悲しさだった。それでも、1日数件と決めて恥ずかしいという気持ちを抑えつけて、当時の「私」に取って高額な1800円を奮発して買い込んだ地図を持って自転車で居宅介護支援事業所の近くまで行って、離れたところから連絡するという、まどろっこしい手法で毎日過ごした。それでも、結果的には「私」たちの訪問介護事務所がある市と周りの市域で居宅介護支援事業所の指定を取得しているケアマネジャーが居る事務所をシラミ潰しに回った。しかし、効率の面では後から考えるとかなり無駄な事がある半面、それを考えず訪問して良かったと思える実績もあった。分からないなりに、全国展開している大手の系列であり訪問介護事業所と併設してある居宅介護支援事業所にも行った。雇用能力開発機構の授業で習った、介護の仕事を紹介するケアマネジャーのいる居宅介護支援事業所は「中立」「公平」を信じて訪問した訳だが、
「私はこの会社から給与を貰っています。どうして他の会社の方に仕事を出さないといけないのですか。」
と言われ、また地域の医師会が運営している居宅介護支援事業所では
「うちだって、訪問介護事業所があるんだよ。用事なんてない。」
と言われて追い払われる始末。
そんな苦戦の中でも、幾つかの居宅介護支援事業所で一人一人のケアマネジャーが面と向かって対応してくれると
 「近くに訪問介護事業所が出来て良かった。何かあったらお願いしますので。」
 と、ハイテンションのイントネーションで希望を持たせる言葉を頂いて期待を持った。

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