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- トップハート物語(33)苦闘開業編
- 10/08/29
- 後から知ったのだが、6月1日に待望の指定取得。後から知ったとは、行政から指定したとの何の連絡もないので、こちらから連絡して確認したのは6月3日だった。指定申請時に6月1日に下りると聞いていたが、連絡か何かが来ると思った。郵便も来ず、連絡も無いので心配になり、問い合わせると既に1日に下りていて指定番号を教えてくれた。こんな無責任な行政があるのか。3日間も、無駄に過ごしてしまった。慌てて、指定番号を入れた手書きのパンフレットを作成した。近所の人がこの事務所が介護事務所だと知っていても、何も仕事らしい仕事もしないので見るに見兼ね、提供してくれた商品でバザーにて上げた収益で作った名刺と手作りパンフレット持って満を持して営業を開始した。
それは記念すべき2000年6月の事である。
まず目標を立てた。ケアマネジャーの居る居宅介護支援事業所をインターネットから抜き出し、住所と電話番号を営業専用の手帳に書き写した。まず、地元のM市。あの最初に大阪に来た時に、無意識に選択し足を運んで資料を漁った図書館がこの事務所から徒歩10分程度のところにあるのは偶然というほかは無い。何故なら、私が資料を漁った事は知らずに、社長がここを拠点と決めたのだ。居宅介護支援事業所に電話を入れて、訪問許可を貰うのにすぐに受け入れてくれる期待は見事に外れた。どうやら、この月初め時期は介護業界全体が請求業務が忙しくて人に会う時間も無いのだ。異口同音とはこのことだ。数件掛けたケアマネジャーへの
「今度新しく開設した訪問介護事業所のAAです。事業所のご紹介に訪問させて頂きたいのですが。」
という電話に対して、
「今この時期は、ご存じのように請求で忙しいものですから、後日にお願いしたいのですが。」
そんなニュアンスが続いた。
仕方がなく、他のマーケティング活動を考えざるを得なくなった。介護に関する情報を掲載したチラシを作った。訪問介護事業所であることを明記して「AA通信」第1号として近所の家にポストインした。名刺以外は金銭的に使っていないので、本当はコピーも自分たちの稼いだお金でやりたいが、何の出費があるか分からないので社長に断って親会社のコピー機を借りた。事務所に居る社員が、私が役員であるのにも拘らずこのような平身低頭の姿を見て哀れむ顔を見せていた。1日500枚のチラシを配り、徒歩で営業をした。居宅介護支援事業所の無い病院に行った。あの時、図書館に向かう時に通った国道にあった巨大な企業が運営する総合病院に入って行った。そこには、その会社の健康保険組合が運営する記念病院だ。相談室に、名刺とパンフレットを置いて行った。コピー機が無いのでコピーは出来ないが、電話ファックスで少しずつ営業もした。思いがけなく、ポストインした「AA通信」を見て2件ほど問い合わせが来た。指定された場所に行って新たに始まった介護保険制度の説明をした。すぐには介護には繋がらないのは、当たり前だが期待はする。
早く結果を出したい。早く、第1号の介護利用者を出したい。毎日、その期待を持って活動した。当然、結果が出ないと社長は怒鳴る。やっと、指定取得で始まったばかりなのに、介護保険制度が始まる4月開始だったら何とかなった筈なのに、散々邪魔をして始める時期を誤まらせておいて何を言うのか問う気持ちがあったが、もうその性格は認識したので無駄な事は言わない。その何も言わない事がまた社長にとっては怒りの原因で、尚も激しく罵った。それでも無視する「私」。すでに多くの訪問介護事業所が介護保険制度スタートに合わせて始めているのに、4月時点で認定を受けている利用者はサービスを既に受けているのだ。その時には、全国で180万人もの対象者が居た筈だ。その方たちは、既にもう決まった訪問介護事業所がサービスを提供しているのだ。それから、2か月も過ぎていて勝負するには既に遅く、営業したからといって直ぐにサービス依頼などある訳がない。だから、月の途中でケアなど始まる訳がない。大体、援助は緊急ではない限り月初めからのスタートになるので、ひと月はあきらめざるを得ない。そう自分にも言い聞かせた。営業の経験がない「私」にとっては、地道にしらみつぶしに一つ一つのケアマネジャーのいる居宅介護支援事業所や病院・施設を回るほか手段はなかった。
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