

一覧に戻る
- トップハート物語(32)苦闘開業編
- 10/08/28
- 午後は介護の営業に走った。金銭的に逼迫していたので、名刺が作れない。パンフレットが作れない。名刺はコピー用紙にボールペンで手書きの名刺を作ったのは事実なのだが、誰も信用しない。しかし、あの時からの出入りの印刷会社の社長夫人が覚えていて時々その話を社員にしてくれる。
「哀れで可哀そうだったけれど、何もしてやれなかった。本当にコピー紙にボールペンで名刺を作っていた。ハサミで切って、本当にそれから始まって、これまでにしたのだから、凄いよね。」
2000年5月に彼女が飛び込みで営業に来た時に、その「私」の異様な光景を目にしたのだ。それから、11年過ぎが昨年までその印刷屋さんには仕事を頼んでいた。しかし、昨今の不景気で連絡が取れなくなってしまった。社員にも、
「私の苦労を言い伝えてくれる人が居なくなってしまった。一番古い戦友が居なくなってしまった。これから、あの時の苦労話を誰が伝えてくれるのか。」
そう言ったりして、連絡も無くあの時の仲間が居なくなったような空白をうめ尽くせないでいる。
パンフレットはないまま試験的に営業に回った。当然、名刺の内容どころかまだ指定も取っていないので、指定が下りたらと断られるのが続いたので、指定が下りるのを待つ事にしたのだ。
その間は、静かにこれからの事業計画を練っていた。広いフロアには、私の好きなニューミュージックが流れていた。事務所にいると、色んな人が来るものだ。すべて営業だが、何か当社にとって益に成るものもあるかも知れないと、誰とでも相手をした。その中に、O県人会のチラシを撒いている人物が居た。この地域には、O県人が数多く住んでいるという。その方が、
「このフロアを県人会に貸してくれないでしょうか。」
と、言って来た。
二つ返事で、受け入れた。尚も話をすると、
「福祉に興味があるので、何かお手伝いをしたい。」
という。美容師兼コンサルタントや専門学校の講師で、その方面に精通しているという。
頭に閃いた。介護関係にも、理美容がある筈だ。勿論、介護保険の適用は無いが、外出できない人のために訪問利理美容が出来ないかと思った。
ボランティアで出来るという。交通費のみで、どこでも2000円の交通費と経費を頂ければ訪問するという約束を取った。
制度施行に遅れて開設した当社が、営業に苦慮せずに結果的に実績を早くから出す事が出来たのは、その切っ掛けとして訪問理美容の依頼があったからかも知れない。その依頼を通じて、その後のホームヘルパーなどの養成研修事業に通じて行くのだ。その源泉が、この待機時期にあったのだ。
そして、その訪問して来た人物は、その後市会議員として立候補、見事当選し前回は第4位の票を集め確固たる地位を築いて、後日、地域の介護や福祉方面に力を尽くしてくれる事になるのだ。
満を持して、近所の人に頂いた品を中心として行ったバザーは、ことのほか好評ですべて売り切れてしまい、3万円ほどを手にした。初めて、纏まった収入を得て近所の印刷屋に行って名刺を注文した。5000円で100枚注文した。出来上がりが1週間も掛かり、待ち遠しかった。
一覧に戻る