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- トップハート物語(448)立志伝昇竜編
- 12/01/22
- 2003年(平成15年)7月中旬。先日面談で会ったガイドヘルパーのみのヘルパーさんは受け答えが気持ち良くて、明るく好印象だった。支援費担当の責任者にも、彼女を出来るだけ使用するように指示した。しかし、彼は
「まだどんなヘルパーさんか、能力を確認していないので私が同行してから決めます。」
そんな返事をした。
何を言っているのか、あれほどいい感じのガイドヘルパーさんは支援費関係では居ないではないかと、心で思っていたが言葉を飲み込んだ。
数日後、彼女から電話が入った。
「お宅の事業所へ行くのに、すこし遠いのでもうひとつの事業所で登録させて貰えないでしょうか。その方が近いし、お願いします。」
という事だったので、来週の空いている日に本社事務所へ同行することとなった。確かに、移動は徒歩のみ。最初の面談はタクシーで来た。次はバスで仕事に来た。直線距離はそんなに遠くないが、直線の交通機関がない。V字型に移動する羽目になり、相当の時間を要する。私が自転車の利用を勧めたのに対して、今度購入しますとの返事だった。しかし、支援費責任者には
「自転車に乗れないのです。」
と言っていたようだ。
そんな訳なので、彼女の申出にはそれなりの正当性があったので変に思わなかった。しかし、大東本社事業所にはまだ支援費事業所の指定を取得したばかりで利用者が存在しない。彼女はガイドヘルパーの資格だけで、ホームヘルパーの資格を持ち合わせていない。
実務経験が、ある市で4年間あり、その実績で全部の移動介護の種類のガイド資格を知事名で受領している。本当に希少価値だ。
数日後、彼女と一緒に障害者の方の援助に行ったサービス提供責任者は、会議の時にこんな報告をした。
「彼女と一緒に行って驚きました。彼女が経験豊富という事で、何もしないでいいのかなと思っていたら、閉じている車椅子を開く時に『どうやって開くのですか』と聞いて来た。何でこのような基本的なことを知らないのか呆れ果ててしまった。」
本当ですか、と聞き返しながらもまだ信じられない。兄弟が重度身障者でいつも車椅子で散歩に連れて行っている話はどうなるのか。
段差のところを移動するのに、どのようにして良いのか分らず、通りすがりの人に教えてもらう始末。利用者は、
「初めはしょうがない。段々と覚えればいい。」
と、言ってくれた様だ。
「これから彼女を使うには余程の注意が必要です。現場の人たちは、利用者に対して、自分のミスで援助を失ってはいけないと細心の注意で対応しています。管理ではないのです。調整ミスは許されません。」
サービス提供責任者の厳しい目が、彼女にも通じたのか。サービス提供責任者の何故そのくらいのことが分らないのかとういう問いに、
「市では月1,2回くらいしかガイドヘルパーとしては働いていませんでした。」
と答えたというが、何回だろうと車椅子のセッテングなんて出来る。
いやいや、驚きだ。いや、私がまだ関西の気質に合っていないのだろうか。言葉とは大事なもの。出来ない事が直ぐに分ることをどうして出来ると言うのだろうか。自分を高く見せようと思っても、直ぐに分る。残念だ。
講師をお願いしている先生との打ち合わせをした。日曜日しか空いていない、普段は現役で忙しい方達だ。1時間ほど話をして、食事をご一緒した。
先生の若い頃の話を聞き驚きの連続だった。一時、東京の渋谷に住んでいて六本木、青山、赤坂あたりを徘徊していたという。懐かしい地名に、私も仙台から東京へ出て来た頃を思い出した。同じ年代に、同じ土地を徘徊していた。
しかし、先生の方が女性でありながら武勇伝に長けている。お酒を飲むのは勿論、タバコも今でも止めない。
「よく渋谷のゲイやホモバーに行った。楽しかった。レズも経験した。皆が行かないところに行ったから楽しかった。今でも新地のゲイバーに時々行っている。」
などと、軽いお酒が入って滑らかな口調だった。しかし、ノンアルコールでも酔うのだろうか良くは知らない。立ち飲み屋は今でも通っているという。その飲むポーズは斜に立ってなどと、楽しい会話が続いた。
しかし、楽しい時間も、先生にお願いしている援助が夜の9時半から始るので、残念だがお開きとなった。今度、お酒でもと約束しながら別れた。そう言えば、あれほど飲んでいた自分が、今では全く飲まなくなった。相手が居ないのだ。段々と飲酒については衰えが来ているのだろう。
時々、偏頭痛がするようになった。今まで頭痛の経験が余り無い。インターネットでその痛くなる部位の原因を見た。鼻が悪いか目の使い過ぎだという。鼻は悪い。最近余裕の時間が出来たので、パソコンを使った事務関係をする機会が多くなり、テレビを見る時間が長くなった。
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