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- トップハート物語(435)立志伝昇竜編
- 12/01/04
- 2003年(平成15年)7月上旬。明け方の利用者の死去。突然の不慮の死。どのように対処していいやら。
しかし、担当ケアマネジャーの落ち着きは一体なんなのだろう。慣れなのだろうか。沈着冷静な彼女の指示で、一日で全ての事案に対処できた。
警察署には、朝少しの時間を取られただけで再び行くことはなかった。遺族の方には、ケアマネジャーが最初十分な報告をして理解を得た。色々なことが一度に起った日だったが、夜の11時過ぎに無事終了した。
早朝の慌しい対応のあと、総合病院相談室から依頼のあった介護保険外のサービスを行った。移送の方は、提携先の福祉タクシーを依頼していた。車椅子を福祉タクシーが忘れて来た。
「済みません。」
と、笑いながら頭を掻いていたが、相談室の女性MSWは顔が強張って居た。やはり、何千人もの患者さんが毎日色んなケースを相談するのに、その対応を処理していく中で依頼先が少しでもミスをすると、信頼に関わるしそのミスをカバーするのに時間を必要とする。
以前、その福祉タクシーが提携を無視して、直接営業をかけていることが分った。そのことを、連絡してきたMSWはこんなことを言っていた。
「うちはお宅を信頼して、一番上にパンフレットを置いている。直接営業に来られても、その業者を信頼していないのでいくら安くても受けることは出来ない。全てお宅を通してお願いします。お宅にお願いしているのです。」
公社のケアマネジャーから連絡があった。
「実は驚きなんですが、金曜日に病院で面談をして頂いたWさんですが、亡くなったのです。病室で静かに亡くなっていたそうです。」
あの94歳で、背が異常に高くどのように援助をして行こうかと対応を検討していた矢先だった。
94歳とは思えない、健康そうな印象を持って帰ってきたのに。ケアマネジャーが、自分の所属する公社ヘルパーステーションで担当するので、ウソをついているのではないかと疑う気持ちを沸き立たせるような、信じられない死だ。
時間を同じくして、利用者の家族から電話があった。
「お願いがありますが、いつもの車空いてますでしょうか。病院へ行かないといけなくなって、どうしてもお願いしたいのです。」
月1回だけ、2名派遣の特殊車輌で通院するが、今月は雨が降っていたので中止になった。それとは関係が無いが、福祉タクシーを使わないと移動出来ない利用者なので、その空き具合を聞き連絡した。希望は夕方5時なのだが、ひとの悪い福祉タクシー業者いつものもったいぶりながら、時間通りに了解した。
何故、気持ち良く了解しないのかというと、私に思うように指示を受けるのが嫌だと言う。しかし、私を通さないと利用者や病院は頼まない。それが、態度に現われる。
ケアマネジャーに直ぐに連絡した。
「・・・利用者からはヘルパーの依頼はありませんので、今回は福祉タクシーのみとなります。介護とは関係ありませんが、一応、病院へ行くという事で報告して置きます。」
「待って下さい。利用者の家族に連絡をとって見ますが、現在の家族の状況では、ヘルパーさんをお願いすることとなると思われますので、準備して待って頂けますか。」
暫くして、ケアマネジャーから連絡がありヘルパーさん派遣となった。当然のことのように、私がヘルパーとして派遣された。
夕方5時に始まった援助は、ケアマネジャーから簡単な処置と言われたが、自宅に戻って来たのは夜の8時半を回っていた。
自分でリハビリのようにひじを使って、軽く起き上がったりしていたが、それがなぜか膨らんできて、痛くなった。訪問看護師さんが、膿をもっているので切開して出す話をした。
1時間も待ってやっと診断。何と骨折しているかもしれないとなり、レントゲンを撮った。暫く待って家族が呼ばれた。戻って来て、私に
「大変申し訳ありませんが、何を言われているのか分りません。私の代わりに聞いてくれるでしょうか。」
分りましたと、聞きに行った。
「菌が体内に入り骨を溶かして、一部無くなっている。これが、体全体に回ると命に関わることになる。毎日通院で、抗生物質を点滴する。その効果が認められなければ1日2回点滴、それでもダメな場合は手術して入院。」
という事になるとの説明だった。
家族に手帳にその内容を書いてくれといわれて、汚い文字で記載した。抗生物質の効果テストや点滴などで、時間がかかりついに夜8時半になった。
待たせていた事務所のメンバーを連れて、昨朝不慮の事故で亡くなった利用者のお通夜に駆けつけた。既に10時を回っていた。
ご遺族との話をして、席を辞した。利用者の顔は、傷を負って痛々しかった。ガラス戸を突き破った状況が、どうも納得行かない
これが終わりではない。これから、1年以上に亘ってこの事で攻防が始まるのだ。社内の、この時とばかり私や会社を追い詰めようと動く人間、その意を受けた近隣の住民、訳の分からない親族という者、マスコミ、役所。危機対策をどう取っていいのやら、平成13年の訪問介護員養成講座サギ事件に続く大きな騒動に発展する。その時の、それぞれの動きを忘れず克明に記録している。誰が、どんな動きをして会社をどうしようとしたのか。
ひとつの事象を、マスコミが創り上げて物語にしようとしていた。その時に、私は社員を守る事だけに徹していた。その為に、全知全能を使い果たした。最大手の新聞社が、誰からどう情報を得てどう動いて、私がどう動いたのか。親戚と称する事件屋が法外な慰謝料を要求して来るのは、それから大分過ぎてからだ。そして、社内の人間が情報を売りに奔走する。見えて来るのはこれからまだ先の話しだ。
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