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- トップハート物語(419)立志伝昇竜編
- 11/12/09
- 2003年(平成15年)6月中旬。ある我儘利用者と朝7時20分の約束だったので、6時50分に運転する宏美さんと駐車場で待ち合わせた。通院介助で、高速道路2本を使用して大阪狭山市の近畿大学大学付属病院へ毎週木曜日に行くことになった。
今までは、個人タクシーで往復4万円を支払って通い始め、1年後から介護タクシーを使用するようになった。それでも、介護料金だけでなくタクシー代金は支払っていて、訪問介護事業所の指定を受けているのでヘルパーさんが隣に着いていた。この地域では、本業がタクシー営業で介護事業所の指定を受けている唯一に事業所だった。
4月から、乗降介助の項目が介護報酬に入り事業者指定を返上してタクシー営業に特化した。往復4万円に戻った訳である。
先週は、急に変更出来ないのでそのタクシー会社が行った。利用者はそのまま継続でも良かったようだが、ケアマネジャーが当社を薦めてくれた。
だから、この1週間の間に何度もケアマネジャーから連絡があり、
「本当に大丈夫ですか。」
と聞かれた。
大変困難な利用者で、利用者本人の意思ではなくケアマネジャーが自分の考えで薦めて、何か問題が発生したら後悔の念を強く抱かせるような利用者のようだ。当社のサービス提供責任者が、何度か呼ばれてその人に性格や今までの経緯、果ては車の走るコース、一つ一つの対応が示された。
駐車場をスタートして直ぐに宏美さんが私に
「利用者のお宅は分りますか。」
と聞いた。
昨日、既に話をしている。
「昨日聞いたら、分かっていますと言わなかった。」
「いや分りません。大体分かると言っただけです。」
「何て事を。曖昧なことを言って。はっきり言ってくれれば分調べて来たのに。」
との小さい諍いがあり、ケアマネジャーの
「時間だけは守って下さい。それだけはお願いします。失敗しないで下さい。もう、タクシーは断っているので後がないのです。」
と、言われた言葉が脳裏をかすめたが、何とか数分前に探し当てて車輌に案内した。
迷うことなく、1時間20分後めでたく病院へ到着。身体的な問題で、対応は大変だが性格などの心的対応で大変さはなかった。
初めての、麻酔治療を勉強させてもらった。
また、車内での利用者との話しは、戦争から始まって経済や政治の話が主で好きな分野なのであっという間に時間が過ぎてしまった。待ち時間が長くて、合計7時間半の行程だった。その間でも常に病室内か入口に待機していて、病室内ベットなどへの移動、トイレへの移動などの対応をしていた。病院から、それが受け入れの前提だと指示されていた。しかし、90歳にもなって、尚かくしゃくとして一人で生きている姿に感動して、移動などの対応を殊更心を入れて、念には念を入れて援助した。満身創痍の身体だった。
今まで、月20万円近くのお金をタクシー代金に掛けて通院していたというが、それ以上の金銭を掛けて入院していたり、今まで接していたお金を使わないようにしているお年寄りとは少し趣を異にしていた。
帰りに、部屋を出る時に預かったカギを帰そうとしたが、
「お宅が預かっていてくれ。名前は何というのか。これからもお宅が来てくれるのだな。」
と言われた。
心配していたケアマネジャーと話をした。
「どうでした。」
「ハイ、スムーズに行きました。」
「ニュースで、やはり営業車と介護事業所の自家用自動車を使用するとでは差があり、営業車の方が良いと利用者が言っているとの情報があったが、満足度は如何でしたか。何%くらいですか。」
「99%です。」
「本当ですか。次の通院の話なんかされましたか。」
「カギを預かりました。」
「本当ですか。良かった。社長自ら行ったのですから当然ですね。」
「社長と言うのは止めて下さい。電話を入れてみて下さい。ただ、車中で眠くなったので、利用者の肩にもたれて眠ってしまいました。」
「あはははは。」
そんな会話を交わしたが、利用者の方に持たれて眠ってしまったのは本当だ。ほんの数分だが。
本社事務所へ戻って来た。その場から、昨日乗降介助の話を聞きたいと電話があった方から、留守電があり連絡すると説明を聞きたいとのことだった。必ず掛けて来ると踏んでいたので、その通りになって意欲が湧いて来た。
1時間後、電話の主のお宅へ赴いた。夫婦とも障害者の方だが、左程困難ではない。困難なのは、その猜疑心の塊みたいな精神の方で、
「騙す奴がいるから」「悪い奴がいる」その言葉のオンパレードで、私の言葉が残部ウソのような口ぶりなので、説明をして、
「後は、市役所なりに確認して下さい。」
と、私も言い放って席を辞そうとした。
その時から、相手も気持ちを切り替えたか結局、ケアマネジャーも決まって居ないのでその紹介とその後の利用プランを打ち合わせをした。
夜に事務所に戻り、事務機のセールスと長い間話をした。何しろ、当社が発足した時からの付き合いで今までの推移を見て来ているので、貴重な存在だ。と、思ったのだが、あとからそうではなかった事を知った。
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