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- トップハート物語(395)立志伝昇竜編
- 11/10/31
- 2003年(平成15年)5月中旬。介護という本来の仕事から離れているような気がする。
議員会館を訪れて旧知の議員に面会し要件の概要を話をしてから、介護行政担当者と面談した。私の思い込みもあり、少し意外な認識をした。
私が最初訪問介護事業所の指定を取得した時には指定番号を得るまで営業をしてはいけないと聞いていた。ところが、この日の話では良いという。
利用者の自宅へ直接行ってはいけない、ケアマネより仕事を頂くものと聞いていたが、それも違っていた。認識不足だった。
データを全て持ち去って、何も残っていない初老女性本社前管理者。プランに無い業務を勝手に作り出して特定のヘルパーさんに与える。国保連には請求しない。つまり、ケアマネジャーには実績としてあげない。当然だ。それは前管理者が個人的に生み出していたのだから発覚しない。
私のところには、ヘルパーさんの勤務状況のみしか来ない。その時間をもとにヘルパーさんの給与を計算する。一体ではないので、その勤務内容が国保連への請求がなされたか確認せずヘルパーさんの給与が自動的に計算される。
2月までは行われなかった。3月と4月に行われている。しかし、4月分は5月に入ってからの実績確認なので、既に関係者は退職していた。一つ一つ確認して網に掛かった。ケアマネジャーは、依頼していないという。
唯一、その不正業務の仕事をしていたヘルパーさんが彼女の許へ行くと公言している。そんな問題や、議員の強い勧めもあり、刑事告発をすることになった。
その告発状を持って、行政に提示して告発を受けている者が指定を受けることが出来るのか、質問状を提出する事になった。
それ以外の、各種問題点には損害賠償請求をする事になった。
その話をしている1時間くらいの間に、何度も電話が鳴り、マナーモードにしていたが取ることが出来なかった。
行政庁舎を出ると全く掛かって来なくなった。いくつか折り返し掛けたが、ほとんどが出なかった。
朝、事務所へ少し遅れて出社した。講習関係の書類を作成して、諸々の電話に対応した。疲れて横になった。まだ体調は不十分で、起きているのが辛い。
本社の新管理者が必要書類を持って来た。何となく、厳しそうだったがもう少し我慢して欲しいと祈るような気持ちで見て居た。
それにしても、新人2名はかなり遅くまで頑張っているが、今しなければならないことを後回しにしていることが多過ぎる。私が指示したことに直ぐ反応をしない。直ぐ連絡するように言ったことや今やるように言ったことが、なされていない。
新規の調査、新規契約書、各種連絡事項。確かに遅くまで仕事をしているが、何を優先して良いのか分らない。
誰も居ない。最近は誰も居ない時が多い。忙しくなったのか、誰も居ない時が多い。音楽を聴きながら、仕事を始めたが、翌日のことが頭から離れない。
全身性障害者を連れて、私が懇意にして頂いている先生にお会いする。その障害者が偶然にも、その先生の指導を受けていた。懐かしくて、同行し訪れる。
その約束が、10時なので9時頃に事務所を出る。その10時に名古屋から客が来て、代表者印を要する契約書作成が必要となる。債権売買契約だ。
加えて、この日に依頼のあった通院介助があり、8時半から3時間くらい要する。それもいつもは私が行くのだ。2回ほど責任者を行かせたが、問題がありその後キャンセルを喰らった。
再度の依頼だが、その対応する人が居ない。優しく優しくしてくれる人が必要となる。
枕に頭を乗せて、足を椅子に乗せて考えていた。この重なった日程を、どう調整したら良いか考えていた。
名古屋の客を、時間を変更して貰うように依頼した。10時の約束を8時半にして貰った。
通院介助を、新人に依頼した。私は、予定通りに風邪気味で声の出ない社員に、車で送ってもらい、障害者と出掛けることにした。
その結論を得て、障害者関係の最終書類を確認した。数字が違っている。その点を責任者に指摘した。やはり違っている。再提出は間に合うのか、それが心配だ。
制度が始まって初めての支援費関係の数字が出た。222万円の収入で、ヘルパーさんに支払う原価は140万円くらいだが、社員や常勤のヘルパーさんが居るので、現実的な支払いはもっと少なくなる。それにしても、利益率は良過ぎるので、再度検算する必要がある。
夜に、私の携帯宛に障害者からクレームがあった。当社責任者が、
「受給量の時間変更で、受給者証を直ぐ返しますと持って帰ったが何日しても持って来ないので連絡をしたら、やっと持って来た。お宅と長い付き合いをしたいので、苦言を言うようですが、怒らないで聞いて下さい。こんなことが続いていたら、みんな離れていきますよ。」
ガマ責任者の限界か。
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