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トップハート物語(394)立志伝昇竜編
11/10/28
2003年(平成15年)5月中旬。体調が悪く、気力が無くなる私が一番嫌いな雨が降っていた。日曜日だし、気持ちが前向きではないので、やる気も無くだらりとしていた。
 大東本社の新人二人が体調不良を訴えながらも、出勤しているのでなんとか出ようとは思っていた。
 8時半、利用者宅から電話が入った。着信名を見て、出たくない心境に駆られた。毎日朝夕の身体介護と、日曜日5回の身体介護を担当している。
 家族は口うるさく、あまりのうるささに
「見てないで自分でしたら。」
 と言いたくなるくらいだとヘルパーさんは言う。
 その家族に輪を掛けて、言葉汚くヘルパーさんを罵るのがケアマネジャー。そのケアマネジャーのお陰で、毎日朝担当しているヘルパーさんが先日辞めてしまった。
 一人では対応が無理なので、何人かで対応していたがそのことがこの日の電話に関係あるのだろうと、恐る恐る電話に出た。
 「今日はヘルパーさんがまだ来ないけれど。」
 「本当ですか。申し訳ありません、直ぐに連絡して対応します。」
 と返事したは良いが、誰が担当か分らない。
大東本社のテリトリーだし、その調整に関わっているのは、応援しているこちらの守口の管理者だ。
 直ぐに携帯電話に連絡を取ったが、電話に出ない。何度鳴らしても出ない。
 今度は、毎日夜と日曜日に担当しているヘルパーさんに電話した。何度か鳴らしたが、出ない。暫くして自宅へ電話を入れた。やっと出て、
「朝は自分の担当ではないです。誰か分からない。」
 社員である一部担当している者と繋がった。
「自分ではないが、今日の朝は誰か分らない。」
とにかく、調整担当の管理者と連絡を取らないことにはと、何度電話しても出ない。
 もう一人、朝の部分を多くを担当してくれているヘルパーさんに連絡をした。留守電だった。返事をくれるように、メッセージを入れた。
 その間、何度か家族からまだ来ないのかとおしかりの電話を頂いた。
 最初に電話を受けてから15分後、調整担当から電話がようやく入った。
 「昨日依頼があった入院中の方の食事介助をしていました。何かありましたか。」
 「利用者さんから、朝の介助が来ないとクレームが来ている。誰が担当なのだ。」
 「Nさんだと思いますが。」
 「Kさんに連絡をとっているが取れない。これから行ってくれるか。」
 「したことが無いので、大丈夫かな。」
 「Iさんに頼んでもいいから。」
 「外に出てしまっているので名簿を持って居ない。今から行って家族に聞きながらやります。クレームが付いたらスイマセン。」
 小1時間後連絡が来た。
 「スイマセン、誰も決めていませんでした。てっきり、Nさんが日曜日全部すると言って居たので。朝だけは違うということを知りませんでした。」
 前任の初老の女性元管理者が、引継ぎをせず逃げてしまったので全く手探りの状態でシフト対応しているので、この混乱はその逃げた者にとっては嬉しい事なのだろう。しかし、利用者にとってはどれだけ迷惑なことか。
 暫くすると、利用者家族から電話で、
 「以前もお願いしたのですが、通院介助をして欲しいのですが。」
 「いつでしょうか。」
 「今日の2時頃にお願いしたのです。
 「ケアマネジャーにお話はしていますか?」
 「いえ、お休みなのでして居ません。」
 「何処のケアマネジャーでしょうか。」
 「希です。」
 「そこは診療所も併設して、救急医療と24時間対応ですので連絡は付くと思います。ケアマネの了解を頂かないと動けません。」
 「その様な形になっているのですか。分りました。それでは、連絡してみます。」
 本社管理者へ連絡をとって、対応を準備して置くように言った。
 4月分の実績で、ケアマネジャーが知らない時間帯や日にちに変更したプランがあり、強く抗議を受けた。逃亡した初老女性前任者から引き継いで居ないので、謝る術も無く困惑した。
 ケアマネジャーなので慎重にならざるを得ない。それだけではないが、諸条件が重なって無理と判断するまで1時間を要した。
 受講生から電話があった。
 「今日施設実習があるのに、今日の朝にFAXで時間変更の連絡が来た。これはどういうことですか。」
 私自身、他の専従に任せたのでその内容は知らなかったので、聞いた。
 「前に貰った資料にはお昼からとなっているのに、今日のFAXは10時からとなっています。私は、グループホームで働いているので、お昼から替わって貰うようにお願いをしていたので、10時からと突然言われてもどうしようもないです。」
 仕事中の担当者を呼び寄せて、直ぐに対応させた。FAXだけで処理をするなんて考えられない。
 障害者のレクレーションの移動介護を担当していた新人サービス提供責任者は、予定時間を大幅に遅れて夜7時頃戻って来た。
 そのあと本社へ行って、深夜まで仕事をしていた。本社の新人は二人とも仕事は確実で、能力も高い。しかし、このペースで継続出来るか心配になった。
その懸念は半年後現れた。自宅に戻らず深夜まで仕事をして車で寝泊まりした管理者は病に冒されてしまい、サービス提供責任者も家庭崩壊に至って仕舞った。この当時の、私の責任が多大な痛恨事だった。多くのこのような方の犠牲の上に成り立って今があるのだ。今は所属していない多くの基礎を築いた彼らを私は決して忘れない。

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