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		<title>トップハート -まごころ介護-大阪・守口・大東</title>
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		<description>トップハートからのお知らせを配信。</description>
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		<category>Weblog</category>

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			<title>トップハート物語（４６２）立志伝昇竜編 (12/02/07)</title>
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			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月下旬。守口プリンスホテルで北海道フェアを十分楽しんでいる間不快な電話が管理者から有った。<br />　当社のヘルパー講習はジプシーのように会場を借りながら実施している。今回も２会場とも外部施設を借りている。デイサービスが休みの日曜日に実施するので、施設そのものが休みでカギの借り入れと返還が大変だ。<br />　土曜日の夕方借りて、月曜日朝返還する。何れも、ケアが忙しい時間帯で誰でも気軽に行ける状態ではない。その担当打ち合わせを先日行った。<br />　今回の担当は管理責任者になった。その打ち合わせの場で、管理者自身が申出て決定したのだ。当然会場を借りているので、講習終了後の簡単な掃除がありその旨をその場で話をした。<br />　新幹線からの帰りに携帯のメールで、講師をした社員から<br />「研修が終ったあとの掃除を誰がするのか。」<br />と聞いて来た。<br />「それは鍵を閉めるなどを担当する管理者と今日の講師をする自分だ。」<br />と返事を返した。<br />「管理者は掃除をするなんて聞いていないと言っている。」<br />と、メールで戻って来た。<br />　　大阪に戻って来て、守口プリンスホテルに入る前に興奮した管理者が電話を掛けて来た。<br />　「掃除をしなきゃあかんのですか、掃除をするなんて聞いていませんけど。」<br />　「終ったあと掃除があると言った筈だけど。」<br />　「カギを受け取るだけで、掃除をするなんて聞いていません。」<br />　確かに、カギを受け取る人間が掃除をするとはっきりとは言っていない。掃除があるといったが、誰がとは言っていない。しかし、<br />　「研修が終ったあと講師からカギを受け取る。簡単な掃除もしないといけない。」<br />　と、説明をした。<br />その点は管理者も認める。掃除に対する主語が抜けているというのだろうが、それは言葉の流れを無視している。ホンの僅かな時間を費やすのがそれ程嫌なのか。講習担当者は、別に専属ではないが全ての日曜日を出勤してその準備にあたる。<br />　お互いに協力し合って、会社を良くして行って欲しいのに自分の事しか考えない思いに、中々理解を得てその心情を替えるまでに至っていない自分の非力と、早く無駄な時間を費やしないと常識が分からないそのような思いを当たり前のようになっているこの土地から抜け出したいと思う。自分の能力はそれほど優れていると思っているのか。謙虚さがない人間は必ず後悔する時が来る。しかし、このような人間は後悔する時が無いのだろう。<br />　わざわざカギを取りに行くのに、少しの時間掃除をする事に対してどうしてそれ程拘っているのか私的には不思議だったが、その電話の中で分った。<br />　自分がするという申出に、その様に理解していたが、実はその決まったあとにいつものように他の者に頼んでいたのだ。その者とは、講師をさせた社員だ。自分は行かないものだから、もし掃除となれば休むわけに行かないと考えてむきになって言って来たのか。<br />　「私は、今月１度も日曜日に休んでいないんです。」<br />　と言っていたけれど、それは私が指示したわけでもなく、自分が全員のスケジュールを決定しているし、先週木曜日に打ち合わせをした時点でそれは分っているし、自分から望んで講習の鍵の開け締めの担当者になった。それを自分で変更している。自作自演しているだけだ。<br />　その様なことが余りに多い。月初めに一月のスケジュールを提出させるが、そうなるとスケジュールが全く信憑性がない事になる。援助に入っているものと思っていると、他のヘルパーさんだったりすることが余りに多いのだ。<br />　ひと月の実績を目にしていると、誰かれの働きが悪いのが一目瞭然だ。どこで何をしているのか、不明の時がある。<br />　押しが強く、責任感は旺盛だ。頼んだことは必ずしっかりとするので、穴をあけることがない。その点は感心する。いや、それだけでもありがたい。そんなこんなで、他の者が掃除をする事になった。<br />　ヘルパー養成研修が１０時からあった。講師は５月から採用した３２歳に若手期待社員。ところが見込み違いで、ほとんどサービス提供責任者らしい仕事は出来ない。人事をしていたとか言いながら書類関係の事務は全く能力なし。経験も無い業務を経験したとか遣れないのに出来るとの虚偽申告はこの地域の常とう句だ。これまでも、多々そのような言葉を裏腹な能力を見た。恥ずかしさが欠落している地域だ。<br />　一緒に採用した本社管理者は、事務能力抜群でその彼女から見て使いものにならないらしい。だから事務関係は、彼女が一人でする羽目になっている。その点について彼は自分でも、<br />　「全く事務能力がないことが見抜かれて、何にもさせてもらってない。」<br />　と、能天気に言うもので、先日呼んできつく引導を渡した。<br />何しろ多額の年収を保証している労働契約を交わしている。市の施設職員として１０年も働いていた実績があり、支援費を担当していたとの触れ込みだった。<br />　しかし、ほとんどが世間では通用しない能力だった。僅かに、介護福祉士という資格を有しているだけだった。<br />　今回の講習の、講師要件に当てはまるので彼を最大限に講師としてカリキュラムに入れた。その最初の日がこの日だった。<br />　朝から彼が駄目だった時に自分が講師をするとの準備をして、会場に臨んだ。緊張をしているようだったが、何とか声は安定して落ち着いていたので安心した。しかし、何にも資料を持参していないので、私が準備した５種類のプリントを配って説明するように指示した。<br />　総合的に見て、意外な潜在能力があることが分った。<br />]]></description>
			<pubDate>Tue, 07 Feb 2012 06:00:00 +0900</pubDate>
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			<title>トップハート物語（４６１）立志伝昇竜編 (12/02/06)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月下旬。帰省した２６日は深夜から、仙台の地震大変な思いだった。やっと床に着いて、熟睡。いつもなら掛け毛布どころか、タオルケットだけでも暑いくらいの環境にいるので、その積もりで横になった。やはり関東地方は寒い。そんなことを感じながら何時の間にか眠ってしまった。<br />　グラグラ揺れを感じて起きた。目はまだはっきり開いてはいなかったが、頭の中で深夜の仙台方面での地震が浮かんだ。手元のラジヲを点けた。やはり仙台方面だ。飛び起きてテレビを点け見入った。また震度６を記録していた。深夜の地震は震度６弱となっていたが、今度は強となっている。<br />　仙台方面へは電話は繋がらないが、映像では大きな被害を感じなかった。もう、母も慣れているのだろうな、と思ってそれ程心配はしていなかった。<br />　やっと母親と電話は繋がったが、妻がひとしきり話して切った。母親は、私より妻と話したり出掛けたりする方を好んで、私を忌避している。妻は母親に良くしてくれて、一人住まいの母親を持つ子供としては嬉しい。横にいても、極自然と私に代わらずに切った。ほとんど何の被害もなく、安心した。<br />　昼過ぎに、帰り支度をして家を出た。日曜日に行う研修に関する資料を持った。自分がポリテク埼玉で学んだ時に使用したファイル３冊。重い。美味しいと言われているレストランに行く途中にある、ＪＡ直売所に寄った。<br />　引っ切り無しに生産者が、自分のスペースに農作物を持ってくる。値段も自分で付けて、全てに生産者氏名が印字されている。何れも新鮮で安い。大阪とは比べものにならない。大阪では「白ねぎ」と呼ばれているネギは、新鮮で太く甘いものが４から５本で１００円前後なのに、大阪の「白ネギ」は根が切られて変に切られたところが伸びて新鮮さが掛けているが１本１００円はする。キャベツも９５円くらいだったが、大阪は２００円以上する。ニラも大阪の半額<br />　とにかく大阪の生鮮食料品は鮮度が悪く高い。<br />　近くのステーキ屋さんで、何年振りと思うくらいにサーロインステーキを食べた。お腹が膨らんだ。<br />　大阪に来て、時々外食をする外れることが多く、最近は東京にもあるチェーン店にしか行かない。東京はほぼ合格点の味だ。でも、大阪人は大阪の味として自慢をする。彼らにとっては美味しいのだろう。自慢するその気持ちが可哀そうだ。それぞれの土地に行って味わい、その結果なら良いが食べた事も無いのに、大阪が一番美味しいと言う。痛いほど可哀そうだ。<br />　駅まで車で妻に送ってもらい、東京駅から新幹線に乗った。メールで智子さん新大阪まで迎えに来ると言うので夕食を摂ることになった。色々遣り取りをした結果、守口プリンスホテルの北海道フェアにまた行くことにした。<br />　１年前に同じ智子さんと来たが、あの時の光景が色々浮かんだ。電話が引っ切り無しに掛かって、落ち着いて食べることも出来なかった。あれから既に１年を経過している。早いものだ。<br />　あの時は終始「かに」ばかり口にしていた。１年後も同じスタイルで行こうと思ったが、若干味に変化があるのか薄い感じがした。<br />　タラバガニやズワイガニを腹一杯食べて、北海道牛乳、ぶどうジュース、グレープフルーツジュースで流し込む。いくら丼や、カレーまで。焼きトウモロコシ、シーフードグラタン。メロン、スイカ、グレープフルーツ。ケーキ各種。最後に札幌ラーメンを食べたかったが、ついにダウン。<br />　かくして、昨日の埼玉での昼食の江戸前寿司から始って夜の料亭でのうなぎ、レストランでのステーキ。最後がホテルでの北海道とグルメ三昧の旅は終った。<br />]]></description>
			<pubDate>Mon, 06 Feb 2012 07:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４６０）立志伝昇竜編 (12/02/05)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月下旬。２５日朝１０時に部屋を出た。歩きながら事務所に電話をして、最終の仕事の指示をした。地下鉄、ＪＲを乗り継いで新大阪へ。結局、乗れた新幹線「のぞみ」は１１時近くになった。<br />　２時間半の時を経て東京駅へ。車中はほとんど寝ることと、新聞に眼を通して過ごした。何しろ今の生活の中でホッとする時間は、この帰省中の新幹線の中だ。<br />　久し振りの東京は、曇っていてまだ梅雨明けを感じさせない。肌寒い空気が流れていた。何となく心が落ち着く。何度か電話が入ったが、ほとんど出ることもなかった。今回の帰省は、目的がハッキリしない。<br />　何しろ、妻が来ると言うので、その機先を制するために戻ったようなもの。今は仕事の中に入って来て欲しくない。やはり戦いは自分一人でするものだ。<br />　結婚して、妻は仕事を辞めた。私の給与は少なかったが、どうしても妻には家庭を守って欲しかった。その願いは元は、私の母親が働いていた為に、その反動がそうさせたのかもしれない。意地を通して子供が成人した頃に、今の仕事でどうしても人材が欲しくなった。<br />　ポリテク埼玉の同級生を中心に何とか助っ人をお願いしたが、残念ながら叶わなかった。いよいよ一人では動けなくなってしまうほどの仕事が来て、一度だけ妻にお願いしたことがあった。その時は、<br />　「私には私の生活があるので、それを捨ててまで行こうとは思いません。」<br />　と、断られてしまった。<br />その後、講習に来た智子さんに来て貰って何とかここまで来た。今は常勤者の事務局も多くなって、二桁にまでなってしまった。<br />　その今になって妻は、時々、行って手伝うなどと言うことがある。それは困るのだ。今になって言われても、既に組織は出来ている。それを、親族とはいえ妻に出て来てもらっては困るのだ。<br />　来る虞があり、来てしまうと、今回はどうもいつまでも居座る感じがするので、それを回避したかった。そのことを口に出す訳に行かないので、表向きは、埼玉事業所の１００万円突破のお祝いという訳だ。事業所管理責任者を慰労してあげようと思って、彼にだけしか連絡をしていなかった。<br />　しかし、共同経営者の塾経営者の代表などに彼が報告したので、何度も新幹線の中に電話して来た。全て出ることが出来なかった。<br />　東京駅から大宮に向った。妻と待ち合わせして、駅前のすし屋で昼食を取った。前回、帰省した時に息子に教えてもらった美味しいおすし屋だ。買い物をして、蓮田に向った。５時に駅に着いて、管理者の車で事務所へ。ひとしきり打ち合わせのあと、代表の車で地元の料亭へ行きウナギ料理をご馳走になりながら、今後の事業展開を打ち合わせをした。<br />　なるべく多く戻って来て、事業展開を急ぐことになった。そのためには、この地の事業所の責任者に完全に権限委譲をして任せないといけない。希望としては、ひと月の半分は東京に居たい。思いっきり前向きの仕事がしたい。<br />　案外と早く自宅のある駅に戻って来た。雨が降っていたので妻に車で迎えに来てもらった。数ヶ月前までは、失明すると思い込んでサングラスを掛けて、部屋に閉じ篭っていた妻と同一人物とは。<br />　反対の東京方面から長男が同じホームに戻って来ているはずだと、妻が車の中から長男に電話を入れた。確かに長男が、駅から出て来た。彼も、傘を持っていなかったので、ラッキーだと喜んでいた。<br />　長男は、電車に乗る時に必ず電話を掛けて来る。今夜は、一旦自宅に戻って、深夜尾瀬に車で出掛けて行った。長男もそろそろ結婚が近いような感じだ。既に相手の両親と親交を交わしている。何の手も掛からないので、楽な息子だ。<br />　次男は、今日も帰って来ないかもしれないと妻が言っていた。<br />　「金曜日は飲んで何の連絡もなく帰ってこない日が多い。彼女と泊まっているかもしれない。よし（長男）は必ず連絡をするのに、あき（次男）全然連絡して来ない。」<br />　長男はシステムエンジニア。次男はプログラマー。私から見れば同じような仕事なのだが、性格は全く正反対。<br />　夜になって、ソファーで寝てしまった。妻に起こされた。故郷仙台で大きな地震が発生していると告げられた。母親が一人で生活しているが、大丈夫かとテレビを見入る。妻は仙台に電話を掛けたが、携帯電話も不通になっていた。<br />　やっと何度か掛けた普通電話が繋がった。ニュースで見ていたが、震源地より離れていたので大きな被害はなかったようだ。ホッとして、再び布団に戻って寝入った。やはり、関東地方は少し肌寒い。<br />　関東へ戻って来ると、東北のニュースに触れることが多くなる。福島県の相馬野馬追いを皮切りに東北の夏祭りは始る。青森のねぷた。秋田の竿灯。山形の花笠躍り。最後は仙台の七夕だ。それが終ると直ぐに秋が来る。<br />　今年は冷夏が続いて、東北の短い夏は終ったようなものだ。<br />　天候の異常が続く今年の夏。嫌な感じだ。いろいろ考えている、今年の夏。今まで考えていた事を思い返す。自分は、これからどこに戦場を構えるのか。出来れば、この大宮で仕事をしたい。あの事件が一段落した時にひとつの転機を迎える事を自覚した。<br />]]></description>
			<pubDate>Sun, 05 Feb 2012 09:00:00 +0900</pubDate>
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			<title>トップハート物語（４５９）立志伝昇竜編 (12/02/04)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月下旬。役所への訪問介護員養成研修実績報告を行った。不備が多く再提出となった。これほど書類が不備という事は、それを仕事メインとしてきた自分としては大恥じだ。<br />　初めての届出とはいえ、要綱を何度も見たのに書式が違っていたり、必要書類が無かったり。担当者が代わって見解が違ったり取扱いが違ったり。相当、あの死亡事故が気を強く持っていても、効いているんだなと思った。<br />　役所を出て放心状態の私に追い打ちを掛ける電話が管理責任者から連絡が入った。<br />　「Ｋさん、大分苦しそうで肩で息をしています。水も脱脂綿に含んで唇に持って行っていますが、首を振って要らないと言っています。脱水症状を起こすと困るので、ケアマネジャーに連絡をして、病院へ運ぶ事になりました。もういよいよ危ないと思います。」<br />　「分った。本当に何ということだ。どうしてかな。役所が終ったら直ぐ行くから頼むな。」<br />　この時点で、今日の帰省は諦めた。当然役所からの返却書類の処理があったので、帰ることは利用者のことがなくても無理になっていた。<br />　以前役所に来た帰りに見た、『喜多方ラーメン坂内』の文字が目に入っていつかは来ようと思っていた。この地のラーメンは、どんなラーメンでも、例えば札幌ラーン・和歌山ラーメンなどであってもいい加減なもので味はほとんど同じ。ドロドロして食べたくない。最初から美味しくない。本当に名前だけでなく本物の東日本のラーメンを食べたいと思っていた。<br />　帰りに念願の『喜多方ラーメン坂内』に寄った。室内は満員で、そのほとんどは男性だった。話言葉を聞いていても、関西弁ではないのでこの地の人間ではないことが分る。皆この味に飢えていたのだ。私の故郷の隣の福島県の喜多方市のラーメンなので、そのパンフレットなど懐かしく見入った。<br />　食べたあと、妻に連絡した。帰るのは今日ではなく、明朝だと。そのまま利用者の入院予定の病院へ向った。<br />　入院先の病院で、ストレッチャーに乗せられて放置されていた。言葉を掛けても、もう声が出ない。あれほど愛嬌があって、皆に親しまれていた面影が無くなっている。<br />　７月７日にこの病院を退院して、在宅援助に移った。それまでの４ヶ月間をこの病院で過ごした。かなり体重があって、いつもベットから落下して何人かで上にあげていた。あまりに重くなって、最後は床に寝せたままで寝る時にベットに移乗することになった。<br />　ある日、横に設置してあるポータブルトイレに立った時に、片麻痺と体重増加の為にバランスを崩して転倒。肋骨５本と、肩の骨を骨折した。両方の手が使えなくなった。それから４ヶ月の入院生活で、ケアマネジャーの言葉を借りれば、まるでホロコーストそのものだ、というほどに痩せこけてしまった。<br />　食事が出来ないので、食べさせて貰えなかったのかどうかは定かではない。やっと待ちに待った退院の日に、たくさん食べたようだ。その後、全く食べなくなった。その代わり、<br />　「苦しい。吐き気がする。」<br />　と言って、胸を抑えることが多くなった。<br />深夜に緊急で集まったり、その対応についてケアマネジャーと口論になったり。約２週間の間に、いろいろあったが全力を尽くして介護をした。その甲斐なく、ついに入院となった。<br />　握り返す手の力も弱く、話し掛ける私の励ます言葉に苦しそうな顔をしながらも、首を振る。まるで、もういいと言わんばかりだった。４人の社員が駆けつけて、その姿に呆然と立ち尽くし声を掛けるのも、はばかられるほどの痛々しさだった。<br />　元気だった頃に利用者のする行為がセクハラだと怒っていた懐かしさ。触って来たり、素っ裸で布団を被っていたり。そんな行為が懐かしく、嫌だと援助を拒否していた社員が胸をさすってあげていると、静かに寝入った。<br />　点滴でどのくらい快復するか分らないが、皆覚悟をしているようだ。<br />　事務所へ戻り、役所から返却を受けた書類を再作成した。<br />　夜８時過ぎに、本社サービス提供責任者が今度の日曜日の講習の打ち合わせに来た。４月に採用した。公的施設で１０年の経験がありその経歴と面接時のやる気を信用した。その経歴から、講師としての資格があるので今回授業をお願いした。まだ３０代の若さに期待をしていた。<br />　ひとしきり講習関係の話をした。釘を刺した。<br />　「大丈夫か。」<br />　「大丈夫ですよ。」<br />　「聞いていてダメだったら、途中で辞めてもらう。」<br />　「本当ですか。やめたあとどうするのですか。誰がやるのですか。」<br />　「俺がやる。」<br />　「出来るんですか。」<br />　「どういうことだ。」<br />　「スイマセン。そういう意味じゃないです。それは凄いプレッシャーになります。血の気が引きました。」<br />　「そのくらいの気持ちで対応しないとだめだ。」<br />　その後に、仕事の話をして引導を渡した。<br />　「口先の言葉はもう信用しない。自分の給与は自分で稼げ。出来ないなら出来ないと言え。出来ないのに、やりますという返事だからやるものだと思って待っている。会社としては迷惑だ。」<br />]]></description>
			<pubDate>Sat, 04 Feb 2012 11:00:00 +0900</pubDate>
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			<title>トップハート物語（４５８）立志伝昇竜編 (12/02/03)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月。今年の大阪は雨ばかりの毎日で、一体いつになったら梅雨が明けるのかわからない日を過ごしている。朝はゆったりとした時間を自分の昔を発見した喜びの画像を見ながらいた。<br />　実は、たまたまインターネットで自分の出身だった仙台市立五橋中学校を検索すると、何と自分の卒業年度の有志が運営するホームページが立ち上がっているではないか。その中に中学校当時の写真が存在する。その写真の中の剣道部の中央でカップを持って映っているのが、当時の自分だ。<br />　驚きと喜びで、事務所へ来た皆に見せて勝手に喜んでいた。ついには印刷して、自分の部屋に飾った。この時の頂点に上り詰めた厳しい練習が、現在の自分の根性の原点だ。今もその写真が横に飾ってある。<br />　午前中は、珍しく調整担当から依頼された援助の仕事も無く、２４日に届け出る平成１４年度のヘルパー研修の実績報告書作成に没頭した。書類が不足しているもののなかには、講師の所在を確認して印鑑を受け無ければならないものもあった。動きのいい宏美さんが何とかしのいでくれた。<br />　その宏美さんに比して、動きの悪い社員に頭を抱えている。前日、いつまでたっても動かない本社管理者とサービス提供責任者２名に何度目かのハッパを掛けた。期待料を込めて、高めの給与を設定したが私自身の責任回避もあったかもしれない。<br />　「明日から早速、新たなケアプランセンターを回ります。」<br />　と言っていた。<br />　電話で夕方、確認した。電話を掛けた目的はそれではなかったが、ついでにその結果を聞いた。その返事は、<br />　「電話は入れたのですが、ケアマネジャーが居なくて行けませんでした。」<br />　たった１件電話を入れて不在だったから行かなかったと、それだけで今日はお終いだと。何ということか。イライラが募る。<br />　それは、本社管理者だけの問題ではなく、私が居る守口事務所の問題でもある。やはり、かなり前に同じように１件だけ営業へ行って休みだったので帰って来たという。それも、営業と称して行ったのは隣にあるデイサービスに行ったのだ。それ以来、一度もどこへも行って居ない。あれほど、パンフレットを作って下さいと１枚５０円もするカラーコピーをして創ったのに、山積みで残っていても平気だ。<br />　何度危機感を煽っても逃げてしまう。それがサラリーマンの性か。何度も、何度も　<br />「今月は今のところ新規が１件も無い。これは初めてだ。」<br />と、言ってもなにもしない。<br />　先日の死亡事故がが、関係したと大きく噂されているのだろう。信用は１日で無くなる。<br />　支援費の責任者が、ここぞとばかり<br />　「今は営業などしないで、静かにして現在の仕事を確実にこなすことが大事です。下手にミスを犯したらそれこそ大変なことになる。」<br />　そんなことを大ピラに言い始めて、何もしない理由にしている。<br />支援費がスタートした時は私が営業をして集客を図って、そのままそっくり引き継いだガマ管理者。その利用者数は、彼の口害で２名失っている。営業は勿論全くしていない。方法が分らないと言う。分らないなりに、努力すればいいが、出来ない理由ばかり言う。<br />　ほとんど停滞した実績に、危機感を募らせているのは私ばかりだ。<br />　夕方、問題の連絡ミスの一部について確認することがあった。既に２０日以上も過ぎているのに、その確認は一部だけだった。<br />　つまり、連絡ミスと関連付けられた事故が起こった日の援助は無くなった。その連絡を、夜の担当ヘルパーさんに言ったかどうかが問題だった。他のヘルパーさんが、<br />　「その日に、担当ヘルパーさんが事故を知らずに利用者宅へ行った。その場で近所の人に事故を聞いて初めて知った。近所の人はそれを見て、無責任な事業所だと言い始め許さないと怒っていた。」<br />　それが新聞社への投書になってしまった。と言わんばかりだった。その連絡調整の当事者にその点を確認すると<br />　「担当のヘルパーさんが、用事があって朝利用者宅へ行き、事故の騒ぎを知って援助が無くなった事を知っていました。」<br />　と、私に報告した。<br />私の、他からこういう情報があるとの問いに、真っ向から否定して朝の時点で知っていましたと返事をしていた。全く、無責任な噂話で近所のおばさん連中はどうしようもないと思っていたが、この日その担当ヘルパーさんに電話して確認した。<br />　「いいえ、私はそんなこと言っていません。夕方の時間に援助に行った時に初めて知ったのです。私からその内容の確認の為に、電話して初めて聞きました。」<br />　「確認したら、電話した朝の時点で知っていたと言っていたが、それは無いのですね。」<br />　「ハイ、そんなことはありません。」<br />　何という事か。<br />どうして大事なことをどちらかが隠して、何れ分る責任逃れをするのか。本当に分らない。<br />　私が、担当者の話を前提として各方面に当たっているのに、誰かがウソの情報を私に出して何が生まれるというのだ。全く困ったものだ。<br />　埼玉に戻る予定でいるが、またまた心配で動けない。<br />]]></description>
			<pubDate>Fri, 03 Feb 2012 08:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４５７）立志伝昇竜編 (12/02/02)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月下旬。ヘルパーさんの給与振込の日。介護保険の債権を売却しているので、債権の８割の入金日がこの日になった。<br />今月の振込みは９４名の登録ヘルパーさん。大体ひと月に、数名減って１０名前後増える。その新たなヘルパーさんの振込み先がきちっとしていないと、振込みの機械の前で立ち往生してしまう。それがこの日、５名もあった。<br />　前日に智子さんに、何度も<br />　「口座の分らない人は居ないね。」<br />　「ハイ大丈夫です。」<br />　を繰り返した。<br />　ＡＴＭの操作を始めたのが９時少し前。私と智子さんが３０分位交代で入金手続きをする。私が最初始めた。<br />　始めて直ぐに口座不明のヘルパーさんが居た。途中連絡事項などがあって、私は機械から離れずに、彼女に対応をして貰ったので４０人まで進んだ。<br />　その時点で１割が不明で、イライラしていた。彼女が戻って来たので、<br />　「どうしてこのヘルパーさんの口座が分らないんだ。」<br />　「私知りません。」<br />　「知らないってどういうことなんだ。」<br />　「私に連絡がありません。」<br />　「連絡がなければ、知らないで済むのか。」<br />　「どこにあるのですか。誰に聞けばいいのですか。」<br />　「何をこんなところで言い始めているんだ。昨日の時点で分らなければ何故調べないんだ。全員分かっている不明の者はいない大丈夫と言った筈だ。」<br />　「スイマセン。直ぐ調べます。」<br />　おまけに、車を使うので返してくれと事務所から連絡が入り、急いで彼女が戻して自転車で戻って来た。私は、帰りは歩きで３０分掛けて銀行から事務所へ戻った。<br />　平成１４年度の訪問介護員研修実績報告を行政にするので、その最終チェックをした。一人一人の出席簿から、施設実習の証明など、準備されている書類の最後の確認だ。<br />　ところが、講師証明書類の段階で署名が抜けている講師が２名発見された。早速書類を作成し、今日しかチャンスがないのでサインと印を貰わないといけない。<br />　あの本社の前責任者のファミリーが前担当者で出鱈目な処理をして、途中で投げ出したので、受講生にも迷惑を掛けてしまった。補講の日にちが不明なので、既に修了している生徒に連絡を入れ、夜１０時頃に返事を貰った。<br />　カリキュラムは、修正前のを使用していたので、講師が違っていたり本当に不備な出鱈目さが続いていた。事務的な処理をして貰う人材がいれば本当に助かるのだが。<br />　この間も、銀行へ一緒に行った智子さんが処理を手伝っていたので、ひとりで文句を言いながら仕事をしている私に、<br />　「朝から怒ってばかり。」<br />　と、ぼやいていた。<br />　しかし、それが終わりではなかった。夕方に本社責任者から電話連絡があった。<br />　「スイマセン。実は、Ａさんからクレームがあって、サービス提供をキャンセルされました。」<br />　「キャンセル？」<br />　「ケアマネジャーから、今日で終わりという連絡が入りました。実は、集金にいつも違う者が行くので誰が来たか利用者だけでは分らない。息子さんが居る時に来るように言われていて、不在の時に行ってしまったので、その息子さんからクレームがあって、明日から無くなりました。」<br />　「分った。」<br />　「実はもう１件、今日で失いました。同じ集金に行ったＨさんですが、住所が息子さんの家なので息子さんから貰いました。ところが、利用者からクレームが付いてキャンセルとなりました。以前から、息子では無く自分に集金に来てくれとなっていたのを忘れてしまって。また以前担当していたヘルパーさんとの比較があり、余りにも劣るのでキャンセルと言って来たのですがケアマネジャーが間に入ってくれて説得してくれたのですが、結局キャンセルとなりました。」<br />　愕然とした。<br />理由は何れもキャンセルする内容ではないと、一般的には思う。それが、こんな形になるとは。自然と怒りが込み上げて来た。管理者が自分で動かない結果だ。この２件とも、集金は新人のヘルパーに任せた。新人を入れることによって、自分たちが動けると言っていたが、どのような動きをしたのか詰問した。<br />　「もう入社して３ヶ月になろうとしている。もう言いたくはないけど、どのようにして今後運営して行くことにした。」<br />　「それを話し合っているんですけど。」<br />　「もう話し合っているのは、何度も聞いた。具体的にどうするのか聞きたい。」<br />　「交代交代で、利用者を回ったりケアマネジャーに挨拶に行ったり。」<br />　「もうそれは既に終っている事なので、その事は待っていられない。新規利用者を得る為の営業をどうするのか聞いている。いつも、失った話しか聞かない。失った話をどうのこうのと言っていることより、新たにこんな利用者を得ることが出来ました、と言った報告をくれないか。」<br />　「ハイ、スイマセン。」<br />　暗い話が続いているので、余り責めたくはないが、何しろ給与が高い。問題があった事務所なので有能な人材が必要だったが、見込み違いも甚だしい。<br />　私は、大東の本社を出た人間だ。戻る考えは無い。これからの構想を練っているが、また新たなところで事業所を展開しようと考えている。<br />　そろそろ、今の事業所も去って仕舞いたい。どこでも、出来る自信が付いている。自分の気持ちが納得できる人材と仕事がしたいのだ。<br />]]></description>
			<pubDate>Thu, 02 Feb 2012 07:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４５６）立志伝昇竜編 (12/02/01)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月下旬。祝日でも援助しているのは勿論だ。久し振りに、車で３０分余りの利用者宅へ援助に向う智子さんに同行した。但し、今日は顔を出す予定はなく外に出てゆっくりと今後のことを考えたかった。場所は、自宅及び事務所以外ならどこでも良かった。たまたま出掛ける智子さんが側に居たので、連れて行ってもらった。<br />　到着してから、１時間半ばかり近所をウロウロして散策後、喫茶店に入って少し仕事をして智子さんを待っていた。<br />　その利用者は少し気になる発言を繰り返しているので、来てしまったのかもしれない。初日、最初担当したヘルパーさんが、何故か援助する準備をして行かなかった。いい加減なヘルパーさんだ。利用者から、<br />　「どうしてエプロンを持って来ないで掃除をするのか。」<br />　と聞かれて、<br />　「暑いから。」<br />　筆記用具を持って来ないで借りたことに対しても、利用者は自分に対する思いが馬鹿にしているのではないかと思い込み、初日でキャンセル。<br />　暫くして、一緒に契約時に訪問した智子さんならと言われて、今に至っている。仕方がなく遠路援助に向っている。<br />　その利用者がレンタル希望したベットを、必要がないと断ったケアマネジャーを利用者が独断で変更してしまった。<br />　以前も変更しようとした。市から貰った居宅介護支援事業者リストを見て自分で電話を掛けた。残念ながら、その相手が変更したかったケアマネジャーだった。ケアマネジャーの名前は知っているが、事業所名は知らなかった。<br />　その時は、クーデターが失敗したが今回はうまく行った。誤算は新ケアマネジャーの所属事務所が近所で、旧ケアマネジャーがそこで働いていた経歴があることだった。<br />　折角変更したのに、旧ケアマネジャーは新ケアマネジャーにいろいろ指示をする。だから、利用者の希望は全く聞き入れられない。時間も利用者は現在の１時間半より長く希望しようとしているが、逆にケアマネジャーが短くしようとしている。<br />　利用者がその話をケアマネジャーにしていない。ケアマネジャーから聞く話は<br />　「利用者の了解を頂きましたので。」<br />　となる。<br />　しかし、当社のヘルパーさんが入ると、<br />　「利用者はお宅のヘルパーさんが嫌だと断っている。」<br />　との報告になる。<br />挙句に、ケアマネジャーから<br />　「利用者は、ヘルパーさんが勝手に何時間でも援助できますよと言っているようですが。」<br />　と言われてしまった。<br />それをケアマネジャーが何度も言って来る。<br />　援助実態を聞くと、ほとんどがコミニュケーションで当初計画のお風呂介助や買い物同行が少なくなっている。歩くのも大変で、お風呂も見守りが必要だった。部屋から出ないで、閉じ篭りがちで人と会えば疑心暗鬼な話ばかり。近所付き合いがなく、隣の親族を憎んでいる話をする。<br />　通る人、会う人、関わる人がみんな悪くなる。ケアマネジャーから聞いたが、物をあげて、持って行かないとひどくパニックになるので仕方なく頂いて行ったと言う。大したことのない、１００円程度のものだがヘルパーさんが代わる時に、誰誰に何何をあげたなどと言い触らして困ったようだ。<br />　ケアマネジャーの前では従順で、自分の希望を言わず言われる通りにする。もし何か希望があれば、利用者自身の希望ではなくて<br />「ヘルパーさんがこう言ったああ言った。」<br />と置き換えてしまう。<br />ヘルパーさんには、自分は希望していないが、と言って自分の希望をヘルパーさんに言わせるようにする。<br />　その利用者への援助を待っている間、近所のスーパーに視察へ出かけた。その間、何故か何度も電話が入って困った。店を出たり入ったり。その電話の中に、これまた物分りの良い利用者が居た。<br />　毎日、３時間半の援助を行っている。当初、日曜日のみ他のヘルパーさんでその他の日は同一ヘルパーさんだった。その後、そのヘルパーさんが簡単な踏み台を依頼されて、会社には内緒で勝手に自分の旦那に依頼してしまった。<br />　準備が出来て、作る段階になってから報告があった。安い金額ではないでので、ケアマネジャーに報告した。その頃から、そのヘルパーさんに不信感を持っている。<br />　「余りにも入り込んでしまっているので、ヘルパーさんを変更してくれませんか。」<br />　と、依頼があり少しずつ他のヘルパーさんに交代して来た。<br />あと３日残っているが、そのくらいでいいかなと思っていたがこの日利用者から電話があった。<br />　「週３日、Ｎさんに来て貰っていますが、変更すると連絡があったのですがどうしてもＮさんに来て頂きたくて、お願いします変更しないで下さい。」<br />　直ぐに、調整担当に電話した。その返事は、<br />　「利用者は変更してもいいです、と言うから変更したのに。もうヘルパーさんには変更すると言ってあります。それじゃその変更の取り消しの電話をします。」<br />　利用者は調整担当とは余り面識がない。私に言いやすかったのか。<br />]]></description>
			<pubDate>Wed, 01 Feb 2012 08:00:00 +0900</pubDate>
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			<title>トップハート物語（４５５）立志伝昇竜編 (12/01/31)</title>
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			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月中旬。訪問介護員養成研修が２講座スタートした。日曜コースとしては初めての地域と既に４回目の地域と同時開催だ。３０名定員に対して、２９名と２８名となった。最後の詰めが甘かったのか、定員３０名に僅かに不足していた。<br />　９２名が資料を請求して、５７名が実際講習料金を振り込んで来た。今までの振込み割合から算出すると、かなり良い状態だ。資料の申込者数は落ちるが、確定率の向上でカバーした。<br />　３名が、電話で確認したところ受けると返答があったのに、実行されなかった。<br />　これから４ヶ月程度を掛け、１１月末の修了を目指して毎日曜日毎に研修をすることとなった。２教室同時に、それも日曜日に開催出来ることは、今回大東本社の管理者として採用した大手専門学校の教務主任の力が大きい。今まで全てに亘って私自身で行って来たが、仕事が分担出来、しかも私より数段上の能力を有している。<br />　二つの地域での気質が大きく違っていて、いつも決まっている地域では既に昨年１１月、今年１月そして７月と開講し全て満員だが、受講生のヘルパーというより社会人としての自覚がなく、いつも悩まされている。<br />　彼ら受講生の身勝手な行動のお陰で２箇所の施設実習先を失った。これからどうして研修を継続して行くか思い悩むところである。<br />　いつもこれらの研修に対する広告宣伝料は、受講料総額の１割と想定している。５７名で受講料は７０，０００円なので３，９９０，０００円の収入になる。<br />　広告は折込４回で３４万円。もう一度だけ出せば良かったか。会場費が２会場延べ１６回で８万円。講師謝金が述べ７０時間２１万円。残りは当社社員が実施するために振替休日で対応。<br />　添削費が２５万円。教科書代金が４２万円。その他消耗品など諸経費を入れても外の出る原価は１５０万円以内だ。しかし、毎週日曜日に社員が４名出社、講師も今回は社員が１教室の実技全部と講義など半数以上を担当。私もやっと助手として、仲間入りをした。実際、手持ちの講師が居ないとなると多くの費用が流失することになる。<br />　私の担当した会場の生徒は、比較的若い女性で占められていた。初日とあって皆さん大人しく、会場となった施設の使用注意を守ってトラブルも無く第１日目を終えた。<br />　いつもなら、開講に際しての話に時間オーバーする私が、少ない時間設定にも関わらず１０分を残して受講生には分らないようにやめてしまった。最近、あの死亡事故のことが頭から離れず気力を失っているのだ。<br />　狭い市域なので、このことは多くのケアマネジャーの知るところとなってしまったのだろう。今月に入って、電話が少なくなり、新規も今月は全く無い。こんなことは初めてで、信用を失うには時間を要しない。１日で無くなってしまう。既に今月も３分の２を終えているのに。<br />　先日、事務所管理責任者、サービス提供責任者にその現実的な話をした。<br />　「今月は今日まで新規が無い。これからもこのような状態を続けていけば会社は持たない。現在の利用者が、入院などのアクシデントが予想されるので段々と収入が減って行く。会社に対して何が出来るか、考えて欲しい。営業をするか、現場に入るか。今までのように全部私に任せていてはどうしようもない。今回だけは自信が無い。」<br />　今日も本社の責任者に話をした。<br />　「何度も言っているが、本当に営業をしないと成り立たない。今までは、こちらの事業所が本社を支えてきたが、今回は本社が支えて行かないと成り立たない。だから、前からこのようになっても良い様に営業をするように指示していた。何もしないでもう３ヶ月目になった。」<br />　創業３年目のスタートは散々だった。この７月が設立記念日なのに、管理に自信が無くなった遠方の事業所を今月１ヶ所廃止することとした。管理責任者を希望通り独立させて、その事業所へ利用者を移管する。<br />　埼玉の事業所は、うまく行っているようで今月ついに売上が１００万円の大台に乗せたようだ。埼玉はこれからの地域で、高齢化率が全国最低だ。しかし、ぞくぞくと新規事業者が参入してこれからが正念場だ。<br />　私も、これからの会社のあり方を考えないと、尻つぼみになってしまう。経営に専念して、現場から離れるように画策をしているが、中々うまく行かない。やはり、利用者の顔が浮かんで飛んで行ってしまう。<br />　余り弱気を見せない私が、誰にも言えない心の内を自宅に電話して妻に話した。そうしたら、今週行こうかという事になった。厳しい状態の時は、ひとに辛い顔を見せずに一人で戦いたいが、折角の申し出に断り切れなかった。<br />　田舎から野菜やトウモロコシ、枝豆など送って来たので、再び妻に電話を入れると、<br />　「明日は無理かもしれないけど、明後日頃行こうか。カギは持っているし。」<br />　「何も相手出来ないよ。何しに来るの。」<br />　「いつもの事だから良いけど、食事なんか作ってやるから。」<br />]]></description>
			<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 07:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４５４）立志伝昇竜編 (12/01/30)</title>
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			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月下旬。ヘルパーさんが前夜電話を掛けて来て、昼の11時頃に集金したお金を持って来るという。その時間なら居ると約束したのに通院介助が入り出掛けてしまった。電話で謝らないといけないと思って、携帯電話を見ると留守電マークが。既に１２時だったが、その留守電を聞くと、<br />　「子供が熱を出して急に行けなくなりました。夜に行きますのでお願いします。」<br />　その１１時に約束しているヘルパーさんだった。<br />自分がその時間に居れなくなって、連絡もしなかったが偶然にも相手が既に来れないと連絡していた。<br />　連絡しないで、先日、ヘルパーさんに厳しくお叱りを受けた。事業所推薦のガイドヘルパー講習に多くの人が応募した。真面目で厳しさがヒシヒシと感じられるその女性ヘルパーさんに応募した結果の連絡をしなかった。<br />　応募した社員には結果を話したのに、つい忘れてしまった。どうしても登録ヘルパーさんで、１週間に数時間程度しかケアをしていないということと、その性格が苦手なことが作用した。<br />　「先日の事業所推薦についてのガイドヘルパー講習の結果の連絡が来ていないのは何故ですか。」<br />　「済みませんでした。市からも受講出来る方のみしか連絡がありません。事業所で誰も受講出来る方が居ないと、何の連絡も無くその方式に従ってしまいました。」<br />　「事業所の推薦がダメだった場合、一般申し込みがあると聞いたのですが。」<br />　「ハイ、市の窓口で今受講申込書を配布しています。」<br />　「市の障害課に聞いたら、申込書は既に事業所へ渡している、と言っていますが。」<br />　「各事業所分は３部ほどです。既に社員へ渡しました。当然社員優先ですので申し訳ありません。市役所窓口で配布していると思いますが。」　<br />　「そこまで行く用事はないです。どうしたら良いですか。」<br />　市役所まで、約１キロ。自転車で数分の距離なのに、貰って来て欲しいという気持ちがアリアリ。<br />　「それでは、隣の市ですけれど近くの保健センターの窓口でも申し込み用紙の配布をしています。」<br />　５００ｍも無い。自転車で本当に数分。<br />　「そっちに行く用事はないし。何とかなりませんか。」<br />　「そのくらいならいつでも行けるでしょう。自分で貰って来てくれませんか。」<br />　「・・・・。分りました。行って来ます。」<br />　４月に登録した新人ヘルパーさんだが、元教育者らしく、先日自転車での走行を一緒にしたが、信号が黄色になった時に渡ったが、<br />　「子供たちに見せられない行為でした。反省しています。」<br />　と、その時に言っていた。<br />だから、当社がガイドヘルパー講習の申し込み結果を連絡しなかったことで、当然その償いをすべきだと言いたかったようだ。おそろしや、６２歳の元教育者。<br />　午前中子供の熱で来るのが無理と言っていたヘルパーさんが夜来た。面白い話のオンパレードだった。まるで吉本興業の漫才を聞いているようだった。<br />　「おばあちゃんで大変で困ってしまっています。」<br />　「どんなことがあったんですか。」<br />　「回転寿司の回転を止めてしまったのです。」<br />　「本当ですか。」<br />　「子供と一緒に買い物に行ったのですが、駐車場に車を取りに行っている間に回転寿司屋に孫を連れて入ってしまった。その店で、お茶は倒すは皿を一度に何個も取ろうとしてひっくり返したり。ついには回っている寿司の回転が止まって。子供たちはうつむいて何も食べられずにいた。店に行った時には、おばあちゃんの後ろに店員が２名着いていた。子供たちは、『回転寿司を止めたのはおばあちゃんが初めてだ。』と恥ずかしがって、もう一緒に出ようとしない。」<br />　大笑いしたら、続けて<br />　「国道を斜めに横断して、車を全部止めてしまって。７６歳なのに、自分の足が届かない自転車に乗っている。普段は足が弱いので自由に歩けない。ヘルパーさんが通院を一緒に行っている。それなのに、自転車は今でも乗り回して一緒に出掛けた時に、横断歩道も何も無いところを突然斜め横断し始めた。クラクションが鳴りっぱなしで、恥ずかしくて近くのビルに逃げ込みました。」<br />　認知症状が見えて来たとは聞いていたが、その兆候を聞いたのは数ヶ月前のこと。そんなに急に進んだのか。最後の話は、<br />　「デパートに一緒に行った時に、支払う段階になって自分が払うと言うので待っていた。ところが、なんか叫び声が聞こえるので見てみると、おばあちゃんの後ろに列が出来ている。近付いてみると、財布から多くの小銭を出して数えている。それが半端な数ではないし、うまく数えられないので並んでいるお客さんが皆イライラしていた。店員さんも、困ったような顔をして引きつっていた。文句を言っているお客さんに、おばあちゃんは『うるさい静かにしなさい』と怒鳴っていた。」 <br />]]></description>
			<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 08:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４５３）立志伝昇竜編 (12/01/28)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月中旬。当社には、「キャンセル王」と呼ばれるヘルパーさんが居る。とにかくそのヘルパーさんのケアに対するキャンセルが多い。ヘルパーさんには何の問題も無いとは思うが、相手の事情で彼女に何故か集中している。折角昼間の仕事を辞めてヘルパーさんとして５月から一本化したのに、この仕事量だと後悔しているだろう。<br />　この日も、通院介助の迎えに利用者宅へ行くと既に出たという。居合わせた息子さんが、<br />　「今頃来て、遅いじゃないか。」<br />　という訳で、ヘルパーさんから報告を受けた管理者から電話が来た。<br />　ケアプランは９時からとなっているのに、実際は８時からだった。実は、先週の同じ曜日に同じヘルパーさんが迎えに行っている。その時は、週が違っていると言われたようだ。隔週なのだが、先週ではなく今週だった。だから、その日もキャンセル。そのときにケアマネジャーが、利用者へ電話に入れて確認している筈なのに、また今週このような事態になった。<br />　先週は、１０時から私が担当予定だった同じ通院介助のを代わってもらった。折角時間を取っているのだからと変更してあげた。今日も、その様に配慮をしようとしたが、子供が早く帰って来るので午前中しか出来ないと、残念ながらこの日は穴埋めをしてあげることが出来なかった。<br />　朝から電話が鳴り通しだった。朝の情報収集などの仕事が終って、食事を作り出したのが８時過ぎ。前日作っていたぶり大根を温めようと火に掛けた途端、大東本社から電話。<br />　「Ｓさんという方から電話が今ありまして、本来はケアマナジャーに言うべきなのですが、体調が悪化して急なことなので直接電話をしましたと言うのですが。病院へ連れて行って欲しいということですが。」<br />　守口事業所の利用者でどうして大東へ連絡が行ったのか不明だが、それにしても今の時間、本社の管理者が既に出社しているのかと思いながら、当事業所管理者へ連絡した。通話不能だった。<br />　暫くして不在着信を見て連絡して来た。援助中だったようで、管理者は直ぐに事務所に来て利用者へ連絡をした。やっと、ぶり大根は温まった。次に、小さなハンバーグを焼こうとフライパンに油を引いて火を点けた。<br />　電話が入り、利用者への援助予定が３０分遅くなった。その時間があれば担当ヘルパーさんに行って欲しいところがあるので、連絡を取った。埼玉での講習通信添削を、医師の分などこちらで担当している。その添削が出来たので取りに来て欲しいという連絡があり、この日行かないと卒業する２０日まで間に合わない。ヘルパーさんに連絡して間に合わせた。<br />　消した火をつけて、ハンバーグを焼き始めた。その間付け合わせのキャベツを刻んで、味噌汁の準備を始めた。何しろコンロがひとつしかなく非常に不合理。若布と豆腐を入れて、使った残り半分の豆腐に水を入れて保存しようとしたら、また電話。<br />　管理者から、朝援助をした利用者の状態が思わしくないことと、先程の緊急援助依頼の利用者家族との会話の報告。キャンセルの件など。<br />　やっと味噌汁が出来上がり、テーブルに並べ始めた時には既に９時を回っていた。こんなに遅くまずいと思ったが、仕方が無い。転送電話で事務所へ居る振りをして、ケアマネジャーやヘルパーさんの連絡事項などを受けていた。いろいろ遣り取りをしていたら、時計は既に９時４５分を指していた。<br />　朝食を摂って、１０時過ぎに事務所へ行くと直ぐにコピー屋が電話をくれた。何しろ誰かが居る時でないと、修理など来来る事が出来ないので、彼らも必死だ。１０分だけ相手をして、直ぐに２時間の援助へ出掛けた。<br />　午後１時頃戻り、日曜日から始るヘルパー養成研修の準備を始めた。今日も５人からの振込みがあり、名簿の作成がギリギリまでずれ込んだ。２教室定員６０人に僅かに不足する５６人が確定で、３人が意思表示をしているが入金がないので名簿から除外する。当日会場でも受け付ける。<br />　教科書も６０冊準備をして、講師等に分けたのが４冊あり、結局、予定人員ぴったりとなった。しかし、意思表示している３名分はなく、もし受講が決まれば後日東京から取り寄せ渡すことになる。<br />　本社管理者と講習関係の打ち合わせを行ってもまだ終らない事項があり、開講は大丈夫なのかと心配になる。これから４ヶ月間、毎週日曜日私が担当するので、また日曜日がなくなってしまう。<br />　来週開けにヘルパーさんの給与を振り込まないといけないが、やっと本社のデータが出来てこの日から集計作業が始った。その作業を終らせる気力が無く、途中で辞めた。いつもなら、１０日過ぎにデータが入るが今回は物凄く遅い。修正に次ぐ修正をしている。 一体何をしているのか。事務処理が収益に直結しない事が分かりながら、事務処理を理由に直接的なケアなどをしないのは問題だ。<br />]]></description>
			<pubDate>Sat, 28 Jan 2012 07:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４５２）立志伝昇竜編 (12/01/26)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月中旬。松山千春の歌が現在の自分の応援歌。以前からそうだった。２０年も前から。あの頃は毎日聞いていた。まだ幼稚園児だった長男が一緒に歌っていた。余りに歌を一緒に唄うんで、マイクセットを一式買ってあげた。面白がって、マンションの近隣の迷惑を考えずに大声で歌っていた。他人に聞かれるのが恥ずかしくてマイクのスイッチも入れられない私と全く好対照だった。<br />　今年の関西は、梅雨が長すぎる。雨ばかり既に３週間くらい続いているのではないだろうか。<br />　思い返せば、７月７日は七夕だった。この地では余り盛り上がらないが、故郷仙台ではこの季節の大イベントだ。但し、ひと月遅れの８月に行われる。就職して上京した頃には、この季節が近づくと帰省する特急の切符をどうやって取るかあれこれと考えていた。新幹線の無い時代で、東京から特急で４時間、普通列車で８時間掛かった。それが、今では２時間も掛からない。私の自宅がある大宮から１時間２０分だ。<br />　七夕らしい何のイベントも見られずに、梅雨の印象だけが強い今年の七夕の頃だ。事務所に居ても、余り仕事の電話が掛かって来ない。<br />　「今通院介助が終ったんですけど、Ｏさんから社長宛に何か預かったんですけど。」<br />　「何を預かった。」<br />　「よく分らないのですが、デパートの商品券だと思います。」<br />　「何で預かった。貰う理由が無い。返してくれないか。」<br />　「以前してあげた２ヶ月間のボランティアに対してだと思います。」<br />　「そんなもの頂いたら、何にもならないじゃないか。とにかく返してくれないか。」<br />　「一旦社長に持って行きますので、それから電話してくれませんか。」<br />　「悪いけど受け取れないので、返すように言われた、と言ってポストにでも入れておいてくれるか。」<br />　「分りました。私には扇子のようなものを頂いたのですけど、返した方が良いですか。」<br />　「それは自分で判断がつくだろう。」<br />　そんな気にされるほどの事はしていないはずなのに。続けて、<br />　「ビール券だと思うのですが、会社にって持って行くように言われているのですが。」<br />　「援助をどのように考えているのか。俺は知らん。自分で考えろ！！」<br />　その他、本社事務所に独居徘徊者を面倒見ているお礼にと家族から頂きもの、として届いたことを言って来た。どうして、今年はいつものより、と言っても２年目の夏だがこんな心遣いが多いのか。慣れないヘルパーが現場で、判断に苦労している。<br />自分宛だったら、決まっているが会社宛だとどうしても会社に判断を仰ぐ。<br />　以前の会社と違って、お中元の準備などしなくて良い業種なのでその煩わしさが、無くて楽だ。<br />　一つ一つ、机上に積まれた書類を処理して、何とか机の一部が見えて来た。久し振りに、昼食を近くのお気に入りの料亭で頂いた。食事を外でする時はいつも誰かが一緒だが、やはり安心できるのはいつも側で休みもあまり取らず、頑張っている智子さんだ。<br />　いろいろ私が愚痴や心情を言っても、胸に収めるだけで外部に漏らすことは無い。余りひとつのことを掘り下げて聞こうとしないし、余計なことは言わず自分の立場をわきまえている。<br />　夕方、本社へ向った。当社の担当税理士が余りにお粗末で、変更を要請した。その顔合わせという訳だ。<br />　今度の税理士は、前の担当者より話はうまいが中身が無い。いきなり、私が死んだ時の補償のパンフレットを出して来た。その説明が、しつこい。我慢して聞いていた。続いて、給与計算ソフトの導入を言って来た。導入時一人２０００円。当社は１月からだったら１５０人位居るので、３０万円の初期投資になる。その後月１０，０００円だという。機器のレンタル料が上乗せされて、固定費が１５０００円となる。<br />　加えて、ＴＫＣに直結するソフトなのかダイレクトに、現在の数値が見れると売り込み。うるさいことに、借り入れの話も進めてくる。<br />　ひとしきり終った後に、責任者が<br />　「この機器を導入して、会計事務所が楽になって当社が忙しくなる。それで、毎月１万円を払うのはおかしい。」<br />　と言った。慌てて、税理事務所責任者が、<br />　「その１万円は、顧問料で見させてもらいます。」<br />　「実は、色々な税理事務所から話がある。顧問料金は、約半分くらいだ。社会保険関係もついて、安い。」<br />　「いつでも言って下さい。」<br />　「当社は、月１万や２万くらいのことはどうでも良い。アドバイスが欲しい。全く何も無くて、結果的にこうなりましたでは余りにも貧弱だ。やはり分析をしてもらわないと頼んでいる意味が無い。」<br />　「そうするとやはり、ＴＫＣに加入して貰わないと。」<br />　自分達の能力の無さを露見させているだけだ。税理士など、終わった後の処理しか出来ない。創造的な考えや能力はないのだ。<br />　動こうとしないサービス提供責任者に、厳しくハッパを掛けて戻って来た。不安だらけの会社の状態に、投げ出したい心境だ。人材が欲しい。<br />]]></description>
			<pubDate>Thu, 26 Jan 2012 07:00:00 +0900</pubDate>
		</item>

		<item>
			<title>トップハート物語（４５１）立志伝昇竜編 (12/01/25)</title>
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			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月中旬。早朝、７時スタートしていつもの木曜日の遠路通院介助を行った。本当は、今日は心が落ち着いていなく不安定なので、誰かに変更するように調整を責任者に頼んだ。しかし、無理という事で仕方がなく援助に臨んだ。本当に利用者には申し訳なかった。<br />　９０歳になる利用者とは、先月スタートして既に私は５回援助している。いつものようにチャイムを鳴らさず、預かっているカギを使って中に入った。丁度７時２０分かと思ったら、見ているテレビで２分前ということを知った。時間だけでなく、きちっとした性格で、それを邪魔しない様にスム-スに行くように配慮しないといけない。<br />　最初から何度か、ケアマネジャーから忠告を受けてもピンと来なかった。何度もしつこいくらい、<br />　「失敗しないで下さい。お宅に頼んだ責任が生まれると困ります。まるで執事のようにお願いします。我慢して下さい。利用者の言うことが間違っていても指摘しないように。逃げ道を残して置いて下さい。」<br />　そんな風に言われていた。そのケアマネジャーから既に２桁を超える援助を頂いている。彼女は社内で、常に上司とギリギリのつばぜり合いをしている。それは当たり前だ。自分の所属している訪問事業所があり当社に、レベルの高い事業所として安心だという事で多くの利用者を紹介頂いている。少しのミスでも、彼女を窮地に追い込む。<br />　少し早かったかな。利用者は、５時に起きて７時まで掛かって通院の準備をしている。だからと言って僅かに早いその時間が問題ではなかったと思うが、いつもと感じが違っていた。テレビを見ている利用者の背後から声を掛けると、やっと気が付き振り返る。ゆっくりと立ち上がり、私はいつものように生ゴミなど持って玄関に出ようと居間に戻る。<br />　「そこから出ないで、こっちから出なさい。」<br />　「こちらからですか。」<br />　「それが、正当な玄関への出方だ。」<br />　台所の横に、ドアがあったのが初めて分った。口調が、何となくきつい。この日に、対応を間違うとケアマネジャーの忠告通りの感情が出る危険性があると、心を引き締めた。<br />　車に乗って、１時間半。到着するまで、ほとんど話をしなかった。いつもなら会話が弾むのに、両者の心の中に何となくバリアがあるようだ。この日の同行はいつもの宏美さんではなく、美智子さんだったが何とも言えない絶妙な語り口で利用者の相手をしてくれた。心が利用者の近くから離れることが出来た。<br />　治療の順番を待っている間美智子さんに利用者を任せて、この大きな病院内を見学がてら、回った。こんなところに喫茶店や食堂があったのかと再発見をした。<br />　利用者の近くに戻ると、直ぐに名前を呼ばれた。いつもより１時間程度早かった。車椅子を押して一緒に診察室に入った。心臓や胸の痛みを訴えていた。危険だから、今日の麻酔治療は中止かな、と思った。しかし、一部の部分を除いて実施になった。<br />　麻酔治療はほぼ１時間掛かる。その間同行の美智子さんを朝食に誘って、あの時の事故第一報のお礼を言った。その事故で、ここ数日気持ちが晴れない。取るに足らない内容が、大きな原因となっている可能性がある。<br />　とにかく、何となく気力を失っている。この事故で自分の晩節を汚したくない。そんな思いが頭の中を占めている。昔の武士のように死に場所を探している。つまり、どの時点で自分が責任を取って汚名を注がれないようにするか。どの時点で事業廃止をするか。<br />　いつもより１時間早く推移している。しかし、病院内の理容室に行きたいと突然希望して、麻酔治療を終えてからまた小１時間過ごした。トータルでいつもと同じ時間に戻った。同行の美智子さんのお陰で、何とか７時間の援助は無事終了した。<br />　通院に向う途中の社員と待ち合わせて、通院介助後銀行へ向った。２０日から始る２級ヘルパー研修の申し込みをしているが、そろそろ締め切りで毎日振込みの確認をしている。<br />　教科書が７千円近くするので、受講生の数を読みを間違うと高価な本が在庫となり、少ないと生徒に渡せない。ギリギリまで決めていない申込者が居て、困っている。それでも２教室６０名募集の近くまで行く模様だ。<br />　スタート当初は心配していたが、結局満室となりそうだ。今回から、講師が半分は自前となり原価を下げるのに貢献出来そうだ。やっと、この地で私も助手として名を連ねた。ポリテクで特殊科目の非常勤講師をしている私が、この地では経験３年でやっと助手となった。<br />　戻って来て、打ち合わせや書類の整理など、はかどらない仕事にイライラしながら夜の９時頃まで事務所に居た。何人か社員が来て、話し込んでいたが、私の口からは自分でも意識していたが、愚痴ばかりだった。<br />　自宅に電話を入れて、妻にでも苦しい胸の内を聞いて貰おうと電話をした。いつものように、出た男に息子かなと思って、<br />　「オレだ。」<br />　と言った。<br />しかし、その男は本社のサービス提供責任者だ。自宅と大東本社を無意識に間違ってしまった。昨日、あまりの身だしなみの汚さに活を入れたばかりだった。何しろ、無精髭とだぶだぶのズボン。<br />　「仕事しているのか。そんな格好で仕事をしているのか。」<br />　厳しく言った。<br />今まで、余り怒らなかったが、責任の無さに活を入れた。私が、面談して採用した。給与は、設立からの社員の４割程度高い月額だった。<br />新聞記者との戦いは昨日だった。事務所に来て名刺を貰った。私は、代表取締役の名刺は余り使わないが、この時は使った。取材源の秘匿を知っていたが、何故かこの記者は手の内を明かした。事実を証拠として示す事によって、私を追い詰めようとしているのが分かった。<br />事故の為に不慮の事故で亡くなった利用者の向かい側の家の住民が、知人に話しをした。その知人が何と当社の強力なヘルパーさんで、そのヘルパーさんに連絡をした。そのヘルパーさんが、どうやらその知人に投書をさせたようだ。その時点で、そのヘルパーさんと私の間には大きな溝があった。私を倒すにはチャンス到来だ。<br />その投書の内容は、憶測でしか無い。取材はケアマネジャーの所属している居宅介護支援事業所、勿論市役所など多岐に亘った。周りを固めて、私の許に来た。普通だったら、新聞記者が来たらビビるだろう。しかし、警察だろうが政治家だろうが、新聞記者だろうが、対応に経験豊富な私は自分の思う一点突破主義で逃げる事はしなかった。<br />強力な弁護士の名刺を出して、もし憶測で事実と異なった記事になって当社の名前が新聞紙上を賑わしたら名誉棄損と損害賠償の余地が記者として取材した自分に降りかかる事を示唆した。当然の事を言ったまでだ。<br />　何とか私の首を取ろうとする、投書をさせて追い込んだヘルパーさん。自分は悪くないと、管理者からのＦＡＸを証拠だと持って回り役所や居宅介護支援事業所、亡くなった近所に見せて責任回避を図ろうとするヘルパー。私がヘルパー確保を怠ったために起きた事故だと、私を追及する管理者。私を追いこもうと画策をするヘルパーに、止めを刺すように告発に協力するように勧誘されながら、拒んでいる美智子さん。<br />私は、誰も汚名が残らないように動き終われば、この位置から下りようと思っていた。<br />]]></description>
			<pubDate>Wed, 25 Jan 2012 07:00:00 +0900</pubDate>
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			<title>トップハート物語（４５０）立志伝昇竜編 (12/01/24)</title>
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			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月中旬。このような仕事をしていると事故は避けて通れない。１年間に換算すると数万時間の援助をしている事になる。その中で、やはり事故は起きる。必然的だったのか、偶然だったのかその時判断出来る。<br />　しかし、当社の今回の事故は何とも言えない。言えないから辛い。その処理が、自分の精神が邪魔をしてスムーズに行かない。周りの者が、歯軋りしている。社員は勿論、ケアマネジャーも何度も何度も熱くなって私の説得を試みている。<br />　私は自分のことを考えているのではない。みんなのこれからの事を考えている。自分のことを考えているのであれば、とうに代表取締役は辞めている。それどころか事業は廃止している。<br />　事の発端は、調整担当の管理責任者が、ヘルパーさんの変更の連絡をＦＡＸのみで行ったことによる。その、ＦＡＸには「いつから」という文字はない。<br />　いつも、近所のヘルパーさんなので話をして、連絡もしょっちゅうしていた。その話の中で、そのヘルパーさんの仕事が忙しく毎日３回では大変だろうと思い日曜日だけでも他のヘルパーさんにしてあげようと、話していたという。いつからということは言っていた、と管理責任者。言われていないというのが、ヘルパーさん。<br />　両者とも思い違いがあって、いつからかは当然知っているものだと管理者。即日実施と思っていたとヘルパーさん。管理者にとってはそのヘルパーさんの派遣の最終日となる、その行って居ない日の事故。その事故が、近所の人の話題となって当社に遺恨を持っているヘルパーさんの知ることとなった。<br />　そのヘルパーさんは、我が儘で自分勝手な人物だと認識していた。以前、当社からヘルパーとしては離れ、利用者として知り合った会社に営業として入社していた。そして、あろうことか利用者にその扱い品を売り付けていたのだ。そのことをきつく注意した。<br />　色々と問題がありそのたびに私は正論で抑えて来た。きっといつかはと狙っていたところに、この事故が起きた。<br />　当社の援助がなされなかったから事故が起きたと、まことしやかに流された。その後これまで、親族という方が行政に対して事故報告がなされているのか、問い合わせたので報告した。ヘルパーさんが援助をしていない時間帯の事故で、果たしてどのような報告が必要なのか分らなかった。<br />　親族の方との、経緯の説明など行ったがそれは済んだ筈だった。１０日の事だった。<br />　それが一転して、また動き出した。あれほど、話し合いの席でも逆に励まされ<br />　「今後このような連絡ミスが起らないように。」<br />　と、その改善方について色々アドバイスを受けたのに。<br />　１４日、親族の一人が最後まで残った。その人が金銭の管理をしていた。今まで孤独だった利用者が、罹災し生保を受ける為に親族を探し出したのが半年前。突然その方が現われた。その方が、全て終った筈なのに遠回しに金銭を要求して来た。<br />　彼女はケアマネージャーに連絡をし<br />　「貴方にも、あの事業者を紹介した責任はないのですか。」<br />　と、問い詰めたようだ。<br />続いて行政へ再度連絡をした。とぼけていたが、販売数日本一の大手新聞社にいかにも関連付けた表現でＦＡＸを送った。<br />　ケアマネジャーが取材を受けた。それも１４日のことだ。そのことを親族の目の前でわざと言った。親族は、<br />　「先日の話と異なった方向に向っている。内内で納めて、事業者には頑張ってもらって地域に貢献して貰いたいと言っていたのに。誰が言ったのでしょう。」<br />　近所に、うるさいおばさんがいる。そのおばさんと、５年後関わりを持つとはこの時は勿論知る由も無かった。<br />その者と、遺恨を抱えていた元ヘルパーが方策を話し合ったという。他のヘルパーも当社を追及して廃業に追い込もうと誘われたらしいが、私にその旨連絡をして来た。<br />　その親族は、なぜか方々に誠意がないと言い始めた。ケアマネジャーは、はっきりと、社員も遠回しに<br />　「いくらか払ったら、丸く収まる。」<br />　という。<br />　当然、諸々の経費を支払う。<br />しかし、税金の掛からないお金が欲しい、領収書の要らないお金が欲しいという訳だ。<br />　１４日に、無視したから色んな行動に出た。１５日。再度話し合った。<br />　また遠回しに、<br />　「誠意というものはないのですか。」<br />　「誠意とは何ですか。何度も聞いています。具体的に言って下さい。」<br />　「それはお宅から言うべきではないですか。」<br />　「分らないから言っているのです。」<br />　「領収書のあるお金しか出ないのですか。」<br />　「領収書がなくても、要望があれば言って下さいと言っているではないですか。」<br />　「近所の方に御礼をしないといけないし。」<br />　それがあの近所のおばさん。<br />そのお礼だという。そのおばさんが、新聞社にＦＡＸを流している。興味を示した新聞社が、１４日ケアマネジャーに取材。その後、行政にも行っている。<br />　１５日、夕方その件でついに取材申し込みを受けた。<br />拒否する必要性はないので、時間を私の都合に合わせた。電話での取材申し込みだったが、電話で面白おかしく書かれても困るので、私からある決意を持って面談にしてもらった。<br />　ケアマネジャーの話し、行政の話を受けてからの取材で、その事故に関しては余り掘り下げては来なかった。介護保険が始って、その中の何かの欠陥がこの事故に繋がったと持って行きたかったようだが、残念ながら完全な連絡ミスと知って、どう記事にするのか。息詰まる記者との話し合いは、私の事務所で行われた。<br />]]></description>
			<pubDate>Tue, 24 Jan 2012 07:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４４９）立志伝昇竜編 (12/01/23)</title>
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			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月中旬。朝事務所へ行った。誰も居なかった。定時に行ったのは久し振りだった。アルバイトが来ている筈なのに、見当たらなかった。仕事で直行していることもあるので、そのまま自分の仕事に入った。<br />　アルバイトに聞く用件が出来たので、スケジュールを確認し電話連絡をした。時々突然仕事が入っていることもあるので、仕事中かどうか確認した。<br />　「まだ自宅に居ます。済みません。」<br />　最近、どうも自由を履き違えているようだ。当社は、社員はフレックスタイム制の年俸性が原則。しかし、旧社員はまだボーナスが存在する。出退社時間に関しては、何の拘束も無い。その為にアルバイトが来る時間帯はほとんど、社員は事務所に居ない。それを見透かされているのか。<br />　そのアルバイト女性は、若いのに関わらず動きが非常に良く、いつも待遇改善を考えている。だが、ここ数日ルーズな面が目立って来た。<br />　ヘルパー講習の募集をしているが、そのパンフレットを撒くのに<br />　「仕事の合間に撒きますので、準備して置いて下さい。」<br />　「１時間くらいしか間がないのに、大丈夫か？」<br />　「大丈夫です。案外１時間で撒けるものです。」<br />　と言っていたが、事務所へ戻るとそのまま置いてあった。<br />　講習の資料申込者の受講の意思の確認をするように名簿を渡した。出掛けて戻って来ると、何もなくなっていた。電話でアルバイトに確認すると、<br />　「外出先で電話しようと持って歩いています。」<br />　「どのくらい確認出来た？」<br />　「出来なかったんです。」<br />　そんな調子だ。結構動きは良く、その真面目さを買っていたが、やはり自己管理は出来ないのか。若い女性には難しいのかもしれない。<br />　そうなってくると、荒が目立ってくる。服装ひとつにしても、タバコを吸うにしても。後片付けひとつにしても。<br />　約束を守らないことに対して、初めて注意した。今までは、仕事振りから我慢できるものだったが、これからは十分注意して行く。<br />　この日ある利用者の通院介助は、いつも私が行くがこの日は用件が重なり、若い男性社員に頼んだ。一応介護福祉士の資格を有しており、サービス提供責任者だ。<br />　市の事業として施設の空いている車輌を使用し、移送サービスをしている。その車輌に当社のヘルパーさんが同乗する。診察が終った段階で、その施設に連絡することになっている。<br />　その連絡電話番号を知らないと、社員が言った。管理者に、連絡電話番号を伝えるように指示していた。それがなされていないという事は、先日ＦＡＸだけしか送らず大きな問題が発生した反省が生かされない。<br />　やはりＦＡＸがあったが、電話番号は書いていなかったと男性社員は言う。その点を夕方の会議で管理者に確認した。<br />　「今までほとんど何も注意をしてこなかった。しかし、これほど事務的なことが出鱈目では言わない訳には行かない。なぜＦＡＸだけで電話をしなかったんだ。」<br />　「Ｋさんも忙しくて、丁度障害者のライブで手が離せなくて。」<br />　「だからはっきり連絡が取れなくて良いというのか。伝達するという事はどんな意味があるのか分っているのか。相手に完全に通じて初めて生かされるのではないか。」<br />　そのことについては、何度か言ってもＦＡＸのせいにしたり、どうしてこうも自分の非を認めることが出来ないのか。同じ過ちを何度でも繰り返すだろう。<br />　昼に二つ隣の市に遠征した。利用者が自分でケアマネジャーを変更した。電話でしか話したことがなく、挨拶を兼ねて新ケアマネジャーへとその利用者に会いに行った。<br />　ところが、ケアマネジャーは不在。いつも利用者は自宅から動かないが、この日はヘルパーさんから連絡があってお風呂へ出掛けるという。近くまで出ていながら、結局両方とも行けなかった。近所の美味しいオムライス屋さんで昼食となった。<br />　その利用者は、疑い深さは病的なものを持っている。ケアマネジャーは、その方が生活保護を受けていることだけでも許されないという意識を持っている。多くの接している者がそのケアマネを敬遠している。非敬遠者の典型だろう。<br />　利用者が希望することをことごとく拒否して、まるでいじめのようだ。結局、耐え切れない利用者は、他を探した。引継ぎをかなり厳しくしたようで、新たなケアプランセンターのケアマネジャーも早速、時間を削る予定と当社にＦＡＸがあった。<br />　そのケアマネジャーは、地区の老人会の会長宅のケアマネジャーもしている。当社の、アイドル社員がえらく気に入られて奥さんの援助をしている。奥さんは彼女が来るのが楽しみで、一緒に不自由な体をおして家事作業をして３時間を過ごす。<br />　その旦那さんは、介護認定を受けていない。その旦那さんに、そのケアマネジャーは、<br />　「介護を受けませんか。私が担当したらどうにでも出来ますから。」<br />　しかし、その方たちは自立を標榜している。<br />]]></description>
			<pubDate>Mon, 23 Jan 2012 08:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４４８）立志伝昇竜編 (12/01/22)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月中旬。先日面談で会ったガイドヘルパーのみのヘルパーさんは受け答えが気持ち良くて、明るく好印象だった。支援費担当の責任者にも、彼女を出来るだけ使用するように指示した。しかし、彼は<br />　「まだどんなヘルパーさんか、能力を確認していないので私が同行してから決めます。」<br />　そんな返事をした。<br />何を言っているのか、あれほどいい感じのガイドヘルパーさんは支援費関係では居ないではないかと、心で思っていたが言葉を飲み込んだ。<br />　数日後、彼女から電話が入った。<br />　「お宅の事業所へ行くのに、すこし遠いのでもうひとつの事業所で登録させて貰えないでしょうか。その方が近いし、お願いします。」<br />　という事だったので、来週の空いている日に本社事務所へ同行することとなった。確かに、移動は徒歩のみ。最初の面談はタクシーで来た。次はバスで仕事に来た。直線距離はそんなに遠くないが、直線の交通機関がない。Ｖ字型に移動する羽目になり、相当の時間を要する。私が自転車の利用を勧めたのに対して、今度購入しますとの返事だった。しかし、支援費責任者には<br />　「自転車に乗れないのです。」<br />　と言っていたようだ。<br />　そんな訳なので、彼女の申出にはそれなりの正当性があったので変に思わなかった。しかし、大東本社事業所にはまだ支援費事業所の指定を取得したばかりで利用者が存在しない。彼女はガイドヘルパーの資格だけで、ホームヘルパーの資格を持ち合わせていない。<br />　実務経験が、ある市で４年間あり、その実績で全部の移動介護の種類のガイド資格を知事名で受領している。本当に希少価値だ。<br />　数日後、彼女と一緒に障害者の方の援助に行ったサービス提供責任者は、会議の時にこんな報告をした。<br />　「彼女と一緒に行って驚きました。彼女が経験豊富という事で、何もしないでいいのかなと思っていたら、閉じている車椅子を開く時に『どうやって開くのですか』と聞いて来た。何でこのような基本的なことを知らないのか呆れ果ててしまった。」<br />　本当ですか、と聞き返しながらもまだ信じられない。兄弟が重度身障者でいつも車椅子で散歩に連れて行っている話はどうなるのか。<br />　段差のところを移動するのに、どのようにして良いのか分らず、通りすがりの人に教えてもらう始末。利用者は、<br />　「初めはしょうがない。段々と覚えればいい。」<br />　と、言ってくれた様だ。<br />　「これから彼女を使うには余程の注意が必要です。現場の人たちは、利用者に対して、自分のミスで援助を失ってはいけないと細心の注意で対応しています。管理ではないのです。調整ミスは許されません。」<br />　サービス提供責任者の厳しい目が、彼女にも通じたのか。サービス提供責任者の何故そのくらいのことが分らないのかとういう問いに、<br />　「市では月１，２回くらいしかガイドヘルパーとしては働いていませんでした。」<br />　と答えたというが、何回だろうと車椅子のセッテングなんて出来る。<br />　いやいや、驚きだ。いや、私がまだ関西の気質に合っていないのだろうか。言葉とは大事なもの。出来ない事が直ぐに分ることをどうして出来ると言うのだろうか。自分を高く見せようと思っても、直ぐに分る。残念だ。<br />　講師をお願いしている先生との打ち合わせをした。日曜日しか空いていない、普段は現役で忙しい方達だ。１時間ほど話をして、食事をご一緒した。<br />　先生の若い頃の話を聞き驚きの連続だった。一時、東京の渋谷に住んでいて六本木、青山、赤坂あたりを徘徊していたという。懐かしい地名に、私も仙台から東京へ出て来た頃を思い出した。同じ年代に、同じ土地を徘徊していた。<br />　しかし、先生の方が女性でありながら武勇伝に長けている。お酒を飲むのは勿論、タバコも今でも止めない。<br />　「よく渋谷のゲイやホモバーに行った。楽しかった。レズも経験した。皆が行かないところに行ったから楽しかった。今でも新地のゲイバーに時々行っている。」<br />　などと、軽いお酒が入って滑らかな口調だった。しかし、ノンアルコールでも酔うのだろうか良くは知らない。立ち飲み屋は今でも通っているという。その飲むポーズは斜に立ってなどと、楽しい会話が続いた。<br />　しかし、楽しい時間も、先生にお願いしている援助が夜の９時半から始るので、残念だがお開きとなった。今度、お酒でもと約束しながら別れた。そう言えば、あれほど飲んでいた自分が、今では全く飲まなくなった。相手が居ないのだ。段々と飲酒については衰えが来ているのだろう。<br />　時々、偏頭痛がするようになった。今まで頭痛の経験が余り無い。インターネットでその痛くなる部位の原因を見た。鼻が悪いか目の使い過ぎだという。鼻は悪い。最近余裕の時間が出来たので、パソコンを使った事務関係をする機会が多くなり、テレビを見る時間が長くなった。<br />]]></description>
			<pubDate>Sun, 22 Jan 2012 08:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４４７）立志伝昇竜編 (12/01/21)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月中旬。昨年秋に設置した守口事務所の管理責任者は大東本社から今年異動させた。性格的自分にも他者にもにも律する気持ちが強く、微動だにしない氷河のような気持ちを持っていた。さらに当社に居る訪問介護員養成講座１期生の同期からも距離を持っているように感じていた。その点は、私と同じような性格で一匹狼的で、自己主張が強い印象があった。<br />　私が独立する時に言われた言葉で胸に残っているのは、<br />　「私を信用しないで下さい。いつ裏切るか分りませんから。」<br />　という言葉だった。<br />現在は守口事業所管理責任者として、任せている。しかし、まだ私の精神を受容出来ずに、私にとっては反発、彼女にとっては正論を言い通することが多い。懸念していたのは利用者の立場、ヘルパーさんの立場に立つことが少なく事務的な対応が多い印象があった。彼女にとっては、私は出鱈目な人間と思っている筈だ。規則を無視して、適当にやっていると思うのだろう。そうかもしれない。彼女の思いがきっと正解なのだろうと感じる事もあった。<br />　利用者が、時間の変更などを要請して来ると我が儘な要求として映る様だ。<br />　「週３回通院介助でプランがありますが、金曜日だけ集会がある時が多く、その後に病院へ連れて行ってくれと言って振り回されています。」<br />　「何も振り回してないじゃないか。金曜日に集まりがあり、その後に病院へ行くことに対応すれば良いじゃないか。」<br />　「ヘルパーさんも、時間がハッキリしないし遅くなったら嫌だと言っています。」<br />　「何も決まったヘルパーさんではなくて、利用者はヘルパーさんは誰でも良いと言っているので近くの出来るヘルパーさんにお願いすればいい。出来ない人に頼むから、嫌だと言う。したいという人は沢山居るのだから、その人に頼べば済むことだ。どうして利用者の希望を聞いてあげない。」<br />　私に報告する前に、ケアマネジャーに注意してくれるように依頼したこともある。ケアマネジャーから私に、<br />「管理者から依頼がありましたが、まだ連絡が取れないので。」<br />と連絡が来たので分った。<br />　あれほど、利用者の現況を彼女には話した筈だ。今月から始まったケアだが、今まで施設系のステーションが行っていたが、営業時間が夕方５時までとか土日に対応出来ないとかの理由で当社に変更した。同じ対応をしていたのでは、何の為に苦労して受け入れたか分らない。<br />　管理者は、自分で営業したことがない。いや、その管理者に関わらず当社全員が営業したことがない。延べ５００人の全利用者は、私が得た利用者で新たなケアプランセンターから他の誰かが営業によって得たという事はない。<br />　だから、ある市では１６のケアプランセンターがありながら取引は６事業所くらい。またある市では２０以上あるのに取引は３事業所しかない。何しろ、数十メートルの近くに新たなケアプランセンターが出来たのに訪問介護の管理者として挨拶にも行って居ない。管理者とサービス提供責任者に指示したが、パンフレットを持って行った日は休みだったらしく、その後ひと月になろうとしているが行く気配も無い。<br />　自分の努力で得た利用者、どんなに大切にするだろうか。その気持ちを知って欲しい。何も努力することなく得た利用者は、一人個々として接するのではなく多くの中の一人として接してしまう危険性がある。その対応は、無機質となって機微が失われてしまっているのではないか。<br />　ヘルパーさんに対してもそうである。担当変更をするのに、先日なぜかＦＡＸのみで通知してしまったのか。<br />　６月２６日に、利用者の担当変更をヘルパーさんにＦＡＸで通知。２９日の日曜日の夜に担当している利用者の分だったが、そのＦＡＸには担当者変更だけでいつからという大事な点が抜けていた。言葉で交わしたら、それが防げた筈だ。<br />　ＦＡＸを貰ったヘルパーさんは２９日の日曜日からと思い、管理者は７月からと思い込んで過ぎ去った。しかし、ここに問題が潜んでいる。本当にヘルパーは、そう思ったのか。結局２９日日曜日夜は誰もヘルプに行かなかった。未必の故意があったのではないか。自分が行かなければ、何かが起こりそれが自分を変えた管理者に責任が及ぶと考えていたとしたなら、それによって思い通りに結果が出て、そのＦＡＸの用紙を証拠として方々に訴えた行動は理解できる。何かと言うと、私の足を引っ張ろうとしていたヘルパーさんだったからチャンスだったのだろう。<br />　後悔しても始まらない。その経験が生かされればと思っていたが、反省はしても自省はしないのではなにもならない。<br />管理者は、私に対して責任を追及するように<br />「ヘルパーが足りないのが問題。何でも引き受けてヘルパーの確保をしないから。」<br />と日を追うごとに言い出した。<br />挙句に、事故が起きた事の責任を<br />　「処分して下さい。」<br />　との申し出に替えた。<br />管理者の責任は私の責任だ。管理者を処分するという事は、私を処分する事だ。私は、常に責任を取る積りはある。しかし、部下を処分する積りはない。泣きながら訴える管理者に対して、<br />「泣くな。」<br />と関東流で励ました。<br />彼女が意識を変えてくれることを期待したのだ。<br />　ヘルパーさんも、証拠として管理者から貰ったＦＡＸを持って来て<br />　「どうして確認しなかったのかと悔しくて。」<br />　と、責任は自分に無いとばかり泣く。<br />どうしてこれほど皆泣くのか。利用者は、要介護５で車椅子生活。自分では全く動けない。ヘルパーさんに、生活の全てを任せている。朝ベットから車いすに移乗して生活し、夜に車椅子からベットに寝せてあげる必要がある。勿論食事もヘルパーさんが全介助だ。その日の夜にヘルプに行くことが出来なかったのである。<br />　管理者にヘルパーさんから、私に「頑張って」コールがあったと、言って来た。<br />　「負けないで」<br />　そんな言葉もあったという。<br />私は自分では格好つけているが、ベテランヘルパーさんから見ると、まだ危なっかしいようだ。<br />あるヘルパーさんには<br />「自分の息子のようで、心配してみている。」<br />そう言われた事もあった。<br />　そのヘルパーさんは当社が拡大する切っ掛けを作ってくれたヘルパーさんだ。<br />　大手の在宅介護支援センターから初めて仕事を頂いた時に、対応したヘルパーさんでそのケアの評価が今の業績に繋がっている小野ヘルパーさんだ。私にとっては、神様のような扱いをして上座に飾っていつも崇めなければならない方だ。<br />]]></description>
			<pubDate>Sat, 21 Jan 2012 09:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４４６）立志伝昇竜編 (12/01/19)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月中旬。糖尿病が原因で足を切断し、目も悪くなって一人で生活していた女性の通院介助を先月から始めた。体重が８０キロ以上あったという話だが、その面影はない。現在は３０キロ台だという。<br />　その痩せた身体を一本の杖を頼りに、傾く体のバランスを取りながらゆっくり歩く。身体を支えようと、最初の時に腕に触れた。そうすると、<br />　「結構です。自分でします。」<br />　と、優しく笑って言う言葉に凛とした響きがあった。<br />薄ぼんやりと周りが見えると言うので、大きな段差や障害などを言葉で伝えるだけにした。<br />　どうも高齢の介護を中心にしていると、手を出してしまう。自立支援という基本は、障害者の精神により多く宿っているようだ。<br />　月１回の他の障害者の通院で、必ず病院へ着くと<br />　「トイレに行かせてくれ。」<br />　という片麻痺の方がいる。最初は、支えた時に右に傾くので一生懸命に、左側を押して真っ直ぐにしようとあらん限りの力を入れて支えた。<br />　何処にそんな力があるのかと思うくらいに、私の身体に重く体が寄り掛かって来る。より以上、また力を込める。<br />　「苦しい。」<br />　と言う思いがけない言葉が利用者から発せられた。<br />　「苦しいですか？」<br />　と聞き返して、少し力を緩めた。<br />右に傾いて、止まった。力がほとんど必要がなく立っていた。こんな簡単なことがどうして分らなかったのだろう。右に傾いているという事は、左はほとんど使えない。使える方に傾いて自然にバランスを取っている。<br />　通院介助を急に依頼された。アルツハイマー型認知症。保険証を保管していない独居利用者に、離れて暮らしている家族から保険証を預かって届けた。突然なので、ヘルパーさんの中で次のケアまで３時間ほど空いている方に頼んだ。<br />　そのヘルパーさんから、調整担当へ連絡が入って次のヘルプを誰かに代わって欲しいと言って来た。３時間後の変更を予定するのは認められないので、病院での対応を見て再度連絡するように指示。常勤ヘルパーだと、勤務時間の消化だけを計算するのだろうか。結果的には、通院は１時間半後に終了。余裕を持って、次のケアに向った。<br />　リハビリの通院をする予定でいたが、他の通院へ向ったヘルパーさんから連絡が入って、日程に１週間のズレがあってこの日ではなかったようだ。<br />　折角予定してくれたヘルパーさんに申し訳ないので、私が予定していた通院介助を依頼。２時間の予定が、３時間に成ってしまった。リハビリ１時間を挟んで移動を含め２時間の行程だったのが、やはり女性ヘルパーさんだと付加価値がつくのか、一旦終わってから買い物同行を臨時に加えられたと言う。<br />　訪問介護員養成講座を７月２０日から２講座開設するが今までと違った応募実態だ。現在２教室で４０名程度の申し込み状況だ。資料申し込みも、かなり悪い。不況が重くのしかかっている。受講料を分割で支払うと希望している方が多いが、全て断っている。これまで、経済的な状況を鑑みて受け入れたが分割で最後まで全額支払った受講者は居ない。何度催促しても支払わず、ついには修了せず終っている。<br />　昼食後、障害者手帳１級を取得したので支援を受けたいという利用者宅へ。介護保険の適用を受けているが、要支援で生活支援を月２時間だけだ。<br />　「お宅のヘルパーさんから、障害者１級を受けると通院で何かいい制度を受けられると聞いたので。」<br />　と電話をして来た。<br />また何か当社のヘルパーさんが余計なことを話したのかと思い、電話より面と向かって話した方が良いと訪れた。<br />　「私は昔から心臓が悪くて・・・」<br />　と、今までの経緯など話し始めたが、その話しが長くて、長くて。口の悪い同行した支援費の責任者が、<br />　「その様なことを聞いても、私共には何にもならないので。何を希望されているのですか。」<br />　「ペースメーカーを入れて、障害者１級の認定を受けた。その手帳を昨日貰ったので、ヘルパーさんに電話したら、社長に相談して下さい、と言うので電話した。」<br />　「説明させてもらいますが、何を希望なのですか。」<br />　はっきり自分で希望内容を言わないので、ヘルパーさんから事前に聞いた通院介助の車輌を出して貰いたいという内容を確認した。<br />　「４月になるまで会社の車輌など使用しても黙認されていました。その頃にヘルパーさんが話していたのでしょう。ガイドヘルパーさんがついての通院などの制度がありますが・・・」<br />　「ガイドヘルパーなど要らない。私は何もヘルパーさんが居なくても大丈夫。」<br />　「ガイドヘルパーさんが必要のない人に、障害者への援助は認められないと思う。どうしてもというのであれば、市の障害課に相談して下さい。」<br />　「そうすると、車での通院は無理という事になりますか。」<br />　「介護保険制度で要支援ではその希望する援助受けられません。ケアマネジャーに相談して下さい。」 <br />]]></description>
			<pubDate>Thu, 19 Jan 2012 09:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４４５）立志伝昇竜編 (12/01/17)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月中旬。朝、目が覚めたのは午前５時頃だった。暑くてクーラーをかけて、再び敷布団だけの寝床に戻った。次は６時に目が覚めた。７時に駐車場で待ち合わせて、通院介助へ向うのにギリギリの時間を計算している。<br />　早く起きて朝食をして行くか、時間まで寝ているか。<br />　結局、朝食は病院で利用者が麻酔治療を受けている間に１時間位の空き時間があるので、その時に食べようと思い、寝過ごさないようにと意識しながら横になっていた。<br />　宏美さんと待ち合わせて、利用者宅へ。９０歳の方だが、自立心旺盛で出来るだけ自分で物事を処理しようと頑張っている。何でも、５時に起きて２時間掛かって身支度をするという。<br />　預かっているカギで戸を開けて、部屋に入る。全く気付かずに、籐椅子に座ってテレビを見ている。声を掛けて、ゴミ等の処理をして部屋を出る。ゆったりとした動作で、それに合わせて私も動く。前かがみなど無理なので、靴を履かせる。<br />　１時間半の行程で、利用者が自分で調べて、自分の病状に合った治療を行っているという大阪狭山市にある大学付属病院へ到着。<br />　突然、<br />「いつもの麻酔科ではなく足が痛いので、整形外科に行きたい。」<br />と言い出す。<br />整形外科に行くと予約が必要だと言われた。麻酔科に掛かっているが、利用者が言ったが相手にされず。再診窓口に行くように言われた。利用者本人は<br />　「初診窓口だ。」<br />　という。<br />再度、私が<br />「再診窓口ですね」<br />と言っても初診だと譲らない。<br />仕方がなく、初診の書類など作成して、手続きを取ったが暫くして窓口から<br />　「前のカルテがあるので再診です。」<br />　と、言われた。<br />　「１年前に掛かっていた。」<br />　と利用者が言う。<br />　それから待つこと、１時間半。レントゲンを撮ることになった。結果は、足の小指の上あたりが骨折した跡があり現在はズレながらも、接合している。２ヶ月前に捻挫と称し、自己診察して病院へは行かなかった。一月だけ生活援助にヘルパーさんを派遣した。<br />　いつもの麻酔科の時間が来ても、整形外科から動くことが出来なかった。終了時間が１１時半になってしまったので、麻酔科には行かず昼食を摂ることに成った。１２時過ぎには食事を終えて、麻酔科に向った。<br />　「昼の時間に受け入れてくれますかね。」<br />　という私の心配を一笑に付して、<br />　「予約を入れているじゃないか。」<br />　と、笑いながら言った。<br />　受付窓口に行くと、<br />　「先生が先程まで待っておられました。先生は昼食です。暫くお待ち下さい。」<br />　と言って、１３時まで待たされた。<br />やっと昼時間が終る頃に、<br />　「大便に行きたいので、連れて行ってくれ。」<br />　車椅子で、障害者用のトイレに向った。<br />暫く外の椅子で待っていたが、その間、睡魔が襲う。トイレ掃除が来て、札を入り口に立てかけて掃除を始めた。気が気でならずに、何度もトイレと外を行き来した。<br />　やっと、戸の開ける音を聞き駆けつけた。<br />　「前の人が、大を流してなかった。」<br />　と言いながら、ティッシュでズボンの黄色い染みを拭きながら、<br />　「これは先程食べたカレーがこぼれたものだ。」<br />　と、言わなくてもいい事を言う。<br />　そう言えば、先程、麻酔科の担当医を待たせたのはカレーを食べていて、今度は大便で待たせた。嫌な結び付きだ。<br />　それから１時間、やっと解放されて電話を確認した。圏外になったり、マナーモードのバイブが作動していたが出られないのでまとめて掛けた。<br />　今日の利用者の担当ケアマネジャーが、いつも掛けて来る。今日の利用者のことについてではなく、他の事について掛けて来る。何度も、今日の利用者の介助には<br />　「慎重に失礼のないように。プライドが高いのでそのところを忘れないように。」<br />　と念押しをしている。<br />この利用者には私が担当して、毎週この曜日は長時間拘束されているのを知っている。やはり、自分の援助時間に仕事の電話などされるとプライドが許さないだろう。それなのに、どうしてその時間にいつも掛けて来るのだろうと思う。<br />　いつもより２時間遅く、自宅へ到着。車椅子から、降りても歩けない。麻酔がきついのか、ここ２回は宏美さんと２人で身体を担いでベットまで運び入れる。<br />　大東の本社へ行く予定が、変更して守口事務所へ向った。事務所が入っているマンションの入り口で、これから対応する通院介助の担当者が遅れていると連絡があり、急遽ヘルプに向う。<br />　大きな方であり、部屋から介護タクシーに乗せるための前段階の車椅子への移乗に２名必要となる。病院で、やっと交代要員とタッチ。その足でもう一人の酸素ボンベをシルバーカーに積んで移動する利用者の、リハビリへの通院介助をして事務所へ戻る。<br />]]></description>
			<pubDate>Tue, 17 Jan 2012 07:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４４４）立志伝昇竜編 (12/01/16)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月上旬。最近ユニークな人達への応対が続く。一番傑作だったのが、夕方移動中に電話があった。求職者からの電話だ。<br />　「お宅は何処にあるんでしょうか。ハローワークのパソコンを利用してインターネットで見たもので分らないのです。」<br />　「お宅は何処に住んでいるのですが。」<br />　「○○に住んでいます。」<br />　「うちは大東市と守口市にありますが、どちらが近いですか。」<br />　「守口市にあるのですか。日曜日と夜に仕事がしたいのですが、ありますか。大東市は何処にあるのでしょうか。」<br />　「住道駅の近くです。」<br />　「えっ、お宅は佐藤さんですか。」<br />　「はいそうです。」<br />　「済みません。間違いました。」<br />　どうやら当社の登録ヘルパーさんらしい。<br />名前を聞いて置けばよかったと思った。あとから、皆んなで大笑いした。<br />　ガイドヘルパーさんも募集しているので、その応募がある。その中の一人は、面談を受けるのに電車、タクシーを乗り継いで来た。<br />　「自転車だったら、一直線で２０分くらいで来るよ。」<br />　「道が分らないもので。今度自転車で来ます。」<br />　あとから分ったが、その後も仕事があると、バス、電車を乗り継いで来る。交通費は出していない。<br />　「私は、本当にボランティアでも良いのです。自分の兄弟が重い障害者で、時間があれば同じ障害を持っている方の、お役に立てればいいのです。だから交通費も要りませんし、使いにくかったらいつでも言って下さい。ただ、皆さんのように仕事がどうしても欲しいという事もありませんので、必要なときだけ言って下さい。」<br />　障害者関係のガイドヘルパーの資格を全種類持っている。だから、本当に強い戦力となっている。<br />　先日は、仕事と仕事の時間が２時間開き、食事時でもあったので昼食を彼女と一緒にして、色んな話を聞こうと思っていた。事前にそのことを言って居なかったので、彼女は弁当を買って来てしまっていた。彼女はその弁当を食べながらコミニュケーションを計った。<br />　食事をしながら、帽子を被っていた。不思議には思っていたが、不快な感じはしなかった。とにかく明るく話していても楽しい。その帽子のことは、最後に<br />　「済みません。この帽子を取ると帽子の跡がついて、髪の毛が変な形になってしまいます。被ったままで失礼ですが、許して下さい。」<br />　そんなことで終ったが、話の最中に<br />　「今度２級ヘルパー養成講座を開講するが、社員扱いで無料で良いから受けませんか。」<br />　と、促したが、<br />　「私は変なんです。あのおむつ交換がどうしても出来ないのです。自分の重度障害児の親族には出来ても、なぜか他の人には出来ないのです。一度、講習を申し込んで実習まで行ったのですが、その実習で断念しました。もし、使いにくかったらいつでも言って下さい。」<br />　「とんでもありません。重要な人材だからそのような話をしているのです。」<br />　色んな話題に話が及んで、「言葉の訛り」や故郷の話など時間がなくなるまで話した。ヘルパーさんとこれほど時間を忘れて話したのは、記憶にないほどだ。<br />　２日連続横柄な言葉使いで面談を受けたいと、電話して来た男性。何となく嫌な感じがしたが、応募者全員に会う気持ちがあるので例外としなかった。<br />　電話でも何となく分ったが、日本語が片言だった。はっきりと分らない言葉があり、何度も聞き返した。<br />　経験があると言ったり、２級ヘルパー講習の実習の時だけさせてくれと言ったり。聞きもしないのに、<br />　「患者さんの寝ている部屋以外のところを掃除しろと言われるのが困る。調理で、味付けがその人その人で違うので、それが難しい。」<br />　「それではどこかで仕事をしているのですか。」<br />　「いや、実習に行った時にそんなことがあった。」<br />　「調理は出来るのですか。」<br />　「今、毎日女房からやらされている。練習をしています。」<br />　そんな話をひとしきり聞いたあとに、<br />　「登録をして頂いて、仕事が発生したらお願いするという事になりますが。」<br />　「仕事が無いなら仕方が無いです。」<br />　「沢山回っていると思いますが、どうですか。男性で、経験が無く、年齢が６０歳を超えている方の仕事は限られると思います。」<br />　「どうしましょうか。」<br />　「どうするかは自分で決めてください。とにかく、お宅に合う仕事が発生した時点で連絡しますので、その時に登録をするという事で良ければそうします。」<br />　「仕方がありません。それで結構です。」<br />　最近は、登録応募者が異常に多くて、その対応に苦慮している。本社はついに経験のある人だけ面談をして、そのほかの人は経歴書だけ郵送して貰っている。<br />　一番多い電話は、名乗ることも無く<br />　「仕事ありますか。」<br />]]></description>
			<pubDate>Mon, 16 Jan 2012 08:00:00 +0900</pubDate>
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		<item>
			<title>トップハート物語（４４３）立志伝昇竜編 (12/01/14)</title>
			<link>http://www.top-heart.co.jp/</link>
			<description><![CDATA[２００３年（平成１５年）７月初旬。今月は、当社が平成１３年の７月にスタートして３年目の夏になる。とにかく、一生懸命頑張った甲斐あって何とか２年間会社を維持して来た。<br />　しかし、この月に廃止を考えている事業所がある。昨年私の教えていた専門学校での優秀な生徒が１級を取得して、事業所を運営をしてみたいと強い希望を持っていた。その希望を叶えてあげた。<br />　管理者兼サービス提供責任者に選任した。条件は完全歩合制。それから半年、彼女の体調が良くなかったのと遠距離のために管理が難しくなった。中々事務所へ行けなくなって来た。事業報告も、滞りがちとなってしまって何度か催促するようになったので、決断をした。<br />　法人を作って、事業申請し指定を取得するまで３ヶ月の猶予を与えた。その言葉を守って、ついに今月指定申請まで行った。来月１日に指定取得となって新たな名称でスタートする。<br />　利用者は５人程度で、現時点でも運営は難しい。昨年スタートする時点では、病院など中心にかなりの紹介が得られると言っていたが、その言を実績として表すことは無かった。私も、何れは独立する彼女の後押しとして営業する気持ちにはなれなかった。<br />　有能なスタッフとして欲しいが、本人は自分の力で事業運営する気持ちを持っているので、無理強いは出来ない。利用者の了解を得て、新たに設立する事業所に移動してもらう。当社の事業所は廃止となる。<br />　もうひとつの遠方事業所は、何とか軌道に乗り始めた。同じ１２月に始まって先月やっと８０万円台の収益を記録し、受注からみて今月は１００万円台になる見込みという。ひと月１０万円増のペースで推移している。色んなことがあったが、安心出来そうだ。<br />　今期は何か打ち出して、新たな気持ちで臨む事にしますとヘルパーさんに訴え、従業員には１年間だけ現事業に取り組むと公言した。また、社会保険加入の関係やヘルパーさんの技術レベルの向上を目指す為に、現在のヘルパーさんの数を大幅に減らしたいと思っている。<br />　社会保険労務士の指導によって、現在は委託契約ではなく雇用契約なので労働時間が週２０時間を超える者については雇用保険に加入させる。３０時間を超える者には、社会保険に加入させる。それを実行して行こうと思っている。<br />　しかし、その社会保険加入が義務付けられる対象者は何れも本人が拒否か、自営をしている人、年齢が６０歳を越えている人だ。旦那さんの扶養となっている人や、既に年金を受給するような年齢に達している人。自営の主たる常勤従業者となって、尚且つ代表者となっている人も居る。<br />　色んな事情で、働いている人が居るがこうしてみると、普通の何も働く理由がない人は意欲がない。何か働く目的ある人が、真剣に一生懸命働いている。だから、１円でも自分の懐から出されるのが嫌なのだ。その気持ちを受け入れてあげたいので、顧問の社会保険労務士にその旨、話をする。<br />　しかし、<br />　「何れは会社が損害を被ることになる。発覚した場合は遡って、全額会社負担となる可能性がある。」<br />　とう言うのだ。<br />　あるヘルパーさんは、泣く泣く時間を減らしてその対象から除かれようとしている。当社にとっても、泣く泣く有能なヘルパーさんを替えないといけない。<br />現在の業務委託契約となる前は、本当に知らない事ばかりで苦労した。<br />　技術の向上については、色んな機会を捕らえて講習の申し込みをしている。その中心は、ガイドヘルパーだ。<br />　何回か申し込みをして、少ないチャンスをものにしようかと思っているが、中々その機会が得られない。全て抽選で、当選するのが難しいのだ。先日各市の推薦による、一般公募の前に選定があった。２２名しかない枠に、５０の市町村が一人推薦しただけでもオーバーなのに、各市の事業所から１名推薦された。<br />　比較的小さな市である当該市でも２０の事業所から推薦。その平均をとった総数だけでも１０００名となってしまう。その中から２２名選定された。当社から各講習の種類ごとに５名申し込んだ。<br />　それが各事業所同じ位の人数を申し込んだとしたら、物凄い数となってしまう。しかし、最初から私は、<br />　「市が俺を推薦しない訳が無い。」<br />　と、公言していたが本当に推薦してくれたようだ。しかし、公共団体全体ではどのような選考があったのか分らないが、私が選定されたと連絡があった。<br />　９月から、知的障害児ガイドヘルパー（基礎過程）を勉強する。<br />　もうひとつ、知事名で修了証書が貰える１級ヘルパーの養成講座が募集された。各事業所から、何千という人数が応募されたと思うが募集人員は５４名。受講料３５０００円。抽選が行われた結果が来た。１事業所１名なので当社は、智子さんを応募させた。<br />　結果は補欠１番だった。辞退が出るのは確実だと思って準備をするように指示した。 <br />]]></description>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2012 08:00:00 +0900</pubDate>
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